日記(2/16)
春休みも四分の一を過ぎた頃ですが, 未だに後期のゼミのレポートを書いています. ゼミは, 同じ宇宙物理学を志す友人ができた, とても貴重な体験でした.
一回生の頃は, 同じ授業を履修していた友人とはTwitter上でも繋がっていたのですが, ゼミのメンバーとは, 結局最後までゼミ以外での繋がりを持つことはありませんでした.
そもそも学科の人数が少ないので, Twitterのbioに所属学科を書いておけば, 自然と同じ所属の学生からフォローが来て繋がってゆきます. もしかしたら, お互いに認知していないだけで, ゼミのメンバーとも既にTwitterで繋がっているのかもしれません.
それでもなお, 私たちはお互いのSNS上での姿をさらけ出すことはしませんでした.
ゼミの内容は, 太陽観測でした. 半期を通して学んだことは数多くありますが, ひとつ最も重要だと感じたことを挙げるなら, 現代の天文学者もまた, 太陽を直視することによる視力の低下という, ガリレオの時代から変わらない問題を抱え続けている, ということです.
よく言われることに, 現代の天文学者は空を見ない, というものがあります. すなわち, 現代において天文学者が向き合うのは, 天文台における観測により得られる膨大なデータであって, もはや自らが空を見上げて観測を行うことはない, ということです.
しかし, 私たちはこの半期の間, 常に空を見上げ続けました. 時には太陽光を直に目に入れてしまい悶絶したこともありました.
それは太陽観測が, 太陽がなくては実施できないという, 一見当たり前のように思われるけれど, この上なく重要な性質を持っていたからです.
太陽が雲に隠れてしまえば, その時点で観測は不可能になります. だからこそ, 私たちは空を見上げます. 雲はどこからやってきて, そしてどこへゆくのか……
その意味で, ますます高性能になってゆく光学系を以てしても, 私たちは今なお, 空を見上げるという最も原始的な行為を続けているのです.