誠実な生活

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日記(3/12)

昨日はサークルの例会がありました. 私は京都大学藤子不二雄同好会というサークルに所属しているのですが, 週に一度の例会ではあまり, というよりもほとんど藤子不二雄先生に関連した話題が出ません. およそ五時間余りの例会において, その時間のうちほとんどは他愛のない雑談で占められています. 

 

私としては, 特にこの長期休暇は他者との関わりが極めて希薄になるので, 週に一度, こうした人と話をする機会を持てることは, 非常に貴重なものと言えるでしょう. 

 

とはいえ, 一週間前に映画ドラえもんの最新作が公開を迎えたこともあり, 昨日の例会ではドラえもんに関する話題がいくらか出ました. 

 

事の始まりは, 「日常生活で, どのような場面で感動するか」という話題からでした. 雑談の内容としては, ごく平凡なものです. ここから, 「感動して泣いたドラえもん映画は何か」という話題に, 雑談の内容が飛んだ, というわけです. 

 

私は1980年公開の『のび太の恐竜』以降, ドラえもん映画作品は全て視聴してきました. 映画館で初めて観たドラえもん映画は, 2007年公開の『のび太の新魔界大冒険』です. 

 

私が感動で泣いたドラえもん映画とその場面を, 一度挙げてみました. 

 

のび太の恐竜2006(2006)/ のび太とピー助の別れ

のび太の新魔界大冒険(2007)/ 美夜子, 美夜子父と美夜子母の別れ

のび太と緑の巨人伝(2008)/ のび太とキー坊の別れ

・新・のび太と鉄人兵団(2011)/ のび太ピッポの別れ, しずかとリルルの別れ

のび太と奇跡の島(2012)/ ダッケがのび太の父と判明する場面

 

こうして挙げてみると分かることとして, 私は「別れ」に対して非常に涙もろいということです. とはいえ, これらの場面は一般論として感動しやすいものです. 気になったのは, 最後の『のび太と奇跡の島』です.

 

この作品は, のび太の父(子ども時代)がタイムマシンで現代に連れてこられて, ドラえもんの道具のせいで記憶を失ったために, ダッケ(名前の由来は, 「(自分の名前は)なん"だっけ"?」から)という名前を持って, のび太たちと冒険を繰り広げる……という内容です. 『奇跡の島』が他作品と一線を画しているのは, 全編を通してのび太の父の存在が強調されている, という点です. 

 

私は, そもそも親子もの, もっと言えば「父と子」を描いた作品に弱いのかもしれません. 

 

別のドラえもん映画の話をしましょう. 『緑の巨人伝』は, 次のような内容で終わります. 

 

キー坊と別れを交わし, 帰宅したのび太ドラえもん. ふたりを出迎えるパパとママ. ママがキー坊の不在について「キー坊ちゃんは?」と尋ねると, のび太は俯いて, 視線を泳がせるばかり. それを見たママがのび太の頭を優しく撫でてやると, のび太はママに抱き着いて, そのまま奥の食堂へと消えてゆく. その一部始終を見ていたパパは, 何かを悟ったのか, ドラえもんに対して両手を広げ, ひとこと, 「いいよ」とだけ言う. ドラえもんもまた, パパに抱き着き, そこで物語は終わる……

 

個人的には, この場面が映画ドラえもんの中で最も「親」というものを丁寧に描き出したと思っています. 

 

ドラえもん映画はその性質上, 一貫して「子どもたちによる冒険」であり続けてきました. 同じく国民的アニメであるクレヨンしんちゃんの映画が, 度々「家族による冒険」を描いてきたことと対比しても, ドラえもん映画では大人による物語への介入がほとんどありません. 

 

親は, 冒険に出た子どもたちを家で待ち続ける存在であって, 既に冒険の舞台からはretireしているのです. だからこそ, 『奇跡の島』でのび太たちと冒険を繰り広げるのは, あくまでも"子ども時代の"のび太の父なのです. 

 

『緑の巨人伝』についてもう一点, 気になった部分があります. それは, のび太のパパとママが, キー坊をいかにして受け入れたか, という点です. 

 

のび太のママは, 大のペットぎらいです. 原作では, のび太が捨て犬や捨て猫を拾ってきて, それをママに隠して飼おうとしますが, やがてバレてこっぴどく叱られる, というのはお決まりの展開です. 

 

そうした中で, ドラえもん映画は, のび太のママが「ヒトでない生き物」をいかにして受け入れたか, もしくは受け入れなかったかという点で分類することができます. 

 

例えば, 『のび太の恐竜』では, のび太はママに隠してピー助を育てようとします. これは元々この作品が原作の短編から派生したものであることを考えれば, 特に疑問の余地はないでしょう. 

 

対して, 多くのドラえもん映画では, のび太のママはペットを, もしくはペットでなくとものび太が連れてきた「ヒトでない生き物」を受け入れてきました. 

 

のび太の大魔境』ではのび太の拾ってきた捨て犬ペコを(落としたバッグを見つけてくれたという理由付きではありますが)受け入れましたし, 『のび太の宇宙小戦争』では, 宇宙人であるパピくんを受け入れたうえに, 「(小さいから)食費がかからなくて助かる」という旨の発言までしています. 

 

『緑の巨人伝』も, 同様にキー坊をママは受け入れるのですが, 上の二作品と根本的に異なるのは, のび太のママもパパも, キー坊を家族の一員として受け入れている, ということです. 

 

実際, 『大魔境』と『宇宙小戦争』では, 最終的にペコともパピくんともお別れすることになりますが, それに対して, ママとパパが言及する描写はありません. 

 

対して, 『緑の巨人伝』では, 先に書いた通り, のび太のママとパパは, キー坊と別れたのび太を, 親としていかに受け入れるかという部分に描写を割いています. 

 

そもそも, ママがペットぎらいである大元の理由が, 原作ではついに明かされませんでした. しかし, 少なくとも動物が生理的に苦手, というわけではないようです. 

 

さて, 改めてドラえもん映画の最新作『宇宙小戦争2021』が公開されたわけですが, 近いうちに私も観に行くつもりです. 旧作の中でも名作と名高い『宇宙小戦争』のリメイクということで, 新キャラとしてパピくんのお姉さんが登場したりと展開が気になる作品です.