誠実な生活

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日記(3/14)

今日は, 理学部の成績開示日でした. 理学部は成績開示の期間が特殊で, 学科分けが既に済んでいるか否か, また回生によって成績の開示期間が異なります. 学科分けが済んでいる場合は, 開示は3月の中旬ごろとなり, 全学でもかなり遅い方です. 

 

さて, 2021年度後期を振り返ってみて, 改めて実感するのは, 「人生, 撤退さえしなければ, どうにでもなる」ということです. 

 

私は今期, 軽率に興味のある講義を履修登録し, その中には初回以降一度も出席することのなかったものから, 全ての回に出席して, 極めて満点に近い成績を目指したものまでありました. 

 

そのため, ほとんどの科目については, 単位取得の可能性は all or nothing でした. 実際, 開示された成績を見ても, そこには90点台か, そうでなければ0点(もしくは0点に近い点数)しかありませんでした.

 

ただ一科目の例外を除いては, ですが. 

 

よく, 理学部の授業は難しいと言われます. 実際, 私もそうした授業を経験してきました. しかし, それは全体のうち, ごく一部の例外です. そして今期, そのごく一部の例外に遭遇してしまったのです. 

 

その講義は, 昨年度から教員が変更になったため, あまり過去のデータがないのですが, 単位取得率を見ると, およそ60%といったところでした. この数字が高いとみるか低いとみるかは議論があるでしょうが, 個人的な所感としては, 専門科目としてはやや低いかな, という印象です. 

 

しかるに, 授業の内容は, 単位取得率から想像されるものよりはよほど難解でした. 理学部では最大の収容人数を誇る講義室で始まったそれは, 回を重ねるごとに出席率を落としてゆき, 最後の数回は, 初回授業の2割程度の学生が残っていればよい方でした. 

 

ここまで多くの脱落者を出して理由は, 講義の内容が難しかったからだけではありません. 多くの学生には厳しい一限の授業だったこと, 定期的に内容の重いレポートが課されたこと, そしておそらく最も学生の心を折るに至ったのは, そのレポート(他の講義であれば, それ単体で期末レポート並みの分量となるものが, 計3回課されたのですが)が成績評価に占める比率が, 高々15%にしか満たない, すなわち, 残りの85%は, 期末試験によって決定されるという残酷な事実でした. 

 

あれだけの分量のレポートを解いて, それでもなお成績の15%しか得られないという事実に絶望し, 多くの学生が「撤退」という選択を取りました. 生存戦略としては, なんら間違いのないものでした. 

 

私は, 逃げ遅れてしまいました. なんとか致命傷を負いながらもレポートを全て提出し, 10点余りを抱えた状態で, 期末試験会場にたどり着くこととなりました. 

 

期末試験で私を苦しめたのは, その回答欄の狭さでした. 明らかに狭すぎる余白に, 追加の解答用紙を貰うことも許されないまま, 私は泣きながらも必死で解答を埋めました. 

 

まさか, 解答用紙の余白という, 実力とはおよそ程遠い点で私は単位取得を阻まれるのかと, 試験終了時には深い絶望を覚えていました. 

 

単位取得の見込みは, 絶対評価であればおそらく不可, 相対評価であれば五分五分, というのが見立てでした. 

 

果たして, 今日の成績開示を見ると, 成績は68点, すなわち単位取得に成功していました. おそらく, 相対評価だったのでしょう. 決してよい成績ではありませんが, それでも単位取得には他なりません. 

 

結局のところ, 私は生活習慣の破壊, 社会性の喪失など, 多くの犠牲を払った上で, 単位取得に至りました. それを踏まえると, 早々に見切りをつけて, 撤退を選ぶべきだったのかもしれません. 

 

それでも, 「人生, 撤退さえしなければ, どうにでもなる」のでしょう.