誠実な生活

実家の隣に葬儀屋がある

日記(3/15)

期せずして某回転ずしチェーンのクーポンを手に入れたので, 例の友人を誘って食べに行きました. と言っても, 私と友人の下宿から最寄りの店までは, 自転車で30分近くを漕がないといけなかったのですが, 半額クーポンを前にして, 私たちは頭を下げるほかありませんでした. 

 

私は, 少なくとも大学入学のために京都に移り住んで以来, 回転ずしというものを一度も食べたことがありませんでした. 私にとって, 回転ずしとは休日に家族に食べに行くものであって, ひとりで行く場所ではなかったのです. 

 

私を回転ずしに連れて行くのが, 父親だったか, もしくは母親だったかによって, その傾向は大きく異なりました. 健康志向の母は, いわゆる100円すしに連れてゆくのを避けて, 回転ずしの中でもなるべく値段の張る店に私を連れてゆきました. それでも, 最も値段の低い皿で130円ほど, 最も値段の高い皿では1500円程度の, あくまで庶民が手に届く範囲のものでしたが. 実際, 例えば私と姉と母の3人で食べに行ったとしても, その会計はせいぜい4000~5000円ほどだったと記憶しています. 

 

対して父親は, 子どもに食べさせるものは健康的でなければならない, とはあまり考えていなかったようです. 父は私を100円すしに連れてゆきました. 私は舌が肥えているわけではありませんでしたし, それで不満を覚えることもありませんでした. 

 

さて, 話を戻して, 友人とテーブル席に座り, 私は流れている皿を一枚取りました. 友人は私よりも回転ずしに慣れているようで, 流れている皿は取らずに, すぐにタッチパネルを操作し始めました. 

 

思えば, かつて回転ずしで初めてタッチパネルでの注文方式を目の当たりにしたとき, ついに人類もここまで来たのかと, その近未来的なシステムに感動を覚えたものです. 今の子どもたち, つまり生まれた頃からスマホやインターネットが間近にあるような暮らしをしてきた者にとっては, これはさして感動を覚えるものではないのでしょうか. 

 

「子供の頃, 母に連れられて行った回転ずし店は, 注文をタッチパネルで行っていたのだけれど, そのパネルがipadだったんだ」

 

「ああ, あまり規模の大きくない店なら, そういうところもあるだろうね」

 

「それを見て, 私はよくホームボタンを押して遊んだものだよ」

 

「私もよくそういう小さないたずらをした. あれは, 店側が意図しない操作をするのが楽しいのかしら」

 

「うむ. おおむね, そんなところだろうね」

 

確か私が連れていかれた店では, ホームボタンの上にシールが貼られていたのですが, とはいえシールの上からホームボタンが簡単に押せるものでした. 

 

「そうだ, 意図しない操作で思い出したんだがね. うちの下宿のエレベータだけど, その操作パネルが新しくなったんだ. 階数を表示するモニターがランプ式から液晶パネルに変わってね」

 

「それは楽しいね」

 

「それはいいのだけれど, 大きな欠陥を見つけたんだよ」

 

「ほう」

 

「それがね, エレベータが動いているときに『開く』ボタンを押すと, 動いているにも関わらず扉が開いて, その直後にけたたましい警報音が鳴ってエレベータが緊急停止するんだ」

 

「それは恐ろしい仕様だね」

 

「うん. 普通は, エレベータが動いているときに『開く』ボタンを押しても, 反応しないように作るものだろう?だから, この欠陥を見つけたときは, 本当に驚いたよ」

 

「ところで, 君はどうしてエレベータが動いている最中に『開く』ボタンを押すなんて, 意図しない操作を行ったんだい?」

 

友人は私をなじりました. 

 

「いや……エレベータに乗っているときに, なんとなく他の階のボタンを押して遊んだりするくらい, 人間なら誰でもやるだろう. ジュースにストローを突っ込んで, 息を吹きかけてぶくぶくするようなものだよ」

 

「少しからかっただけだよ」

 

友人は笑いながら, マヨコーンの軍艦を口に運びました. 

 

「それ, 『マヨコーンが真横ーん』ってTwitterに投稿したりはしないのかい」

 

「そのネタ, 正直こすられすぎて面白みに欠けると思うんだ」

 

「そうかしら. 湯飲みの注ぎ口の写真と一緒に, 『ここは何をするところですか?』とツイートする文化は, 今でも目にするけれど」

 

「私は, そのツイートも冷ややかな目で見ているよ」

 

「様式美といった感じで, 私はきらいではないけどね」

 

「それで, エレベータの件に戻るけれど, 君はあれだろう. 『設計はユーザーによる意図しない操作も想定すべき』と言いたいんだろう?」

 

「そうだね. 特にエレベータで移動中に扉が開くなんて, 重大事故につながりかねないからね」

 

「その欠陥は, 大家や管理会社には報告したのかい?」

 

「いや, まだしていないし, するつもりもないよ」

 

「それはどうして?」

 

「わざわざ報告して, 『どうしてそんな意図しない操作をしたんですか』と問われたくはないからね」

 

「責められているように感じる?」

 

「少しだけね. それに, 一応扉が少しだけ開いてすぐに緊急停止するから, 重大事故にはならないよ」

 

「それで, 万が一事故が……取り返しのつかない結果になったら?」

 

私は, 手に持っているえんがわの握りを皿に置きました. 

 

「……どうしようかしら. 『実は私は, ずっと前から危険性を認識していたんです』とでも言えばいいのかい?」

 

友人は湯飲みをほんの少し口につけて, すぐに机に置きました. 

 

「……世の中には, バグを報告すると怒られるような環境があるらしいね. 曰く, 『言わなければ分からなかったのに, 余計な仕事を増やした』と」

 

「なんだか, それは『寝た子を起こすな』論みたいだね」

 

「……まったく, ひどい話だよ」

 

私は, 改めてえんがわの握りを口に運びました. 

 

「もし君がエレベータのことを報告しないと言うなら, 私が気付いたものとして報告しても構わないが」

 

「君にそこまでさせるわけにはいかないよ」

 

「しかし……」

 

「君は, 昔から不正義を正してきたものね. だから, この問題を放置しておけないのは分かるよ. でも……」

 

空になった皿を投入口に入れると, それはするりと流れていきました. 

 

「信じたくないことだけれど, 『言わなかったからなかったことになった』もので, 世の中は回っているのかもしれないね」

 

「……」

 

「……少し, 昔ばなしをしようか」

 

友人は何も言いませんでしたが, 私は構わず続けました. 

 

「小学四年生だったか五年生だったか……中学は別になってしまったSくんのアパートの裏で, しわしわになったエロ本の山を見つけたことがあったろう. 覚えているかい. まるで漫画みたいな話だが, 実際に私たちはこの目で見た」

 

「そんなこともあったね. あれは大騒ぎだった」

 

「ちょうど, 思春期にさしかかって, 異性を意識し始める齢だったからね. 自宅にインターネット環境のある子も少なかったし, 本当に衝撃的だったよ」

 

「結局, あれを見つけた後はどう処理したのだったか……」

 

「……そう, そこが問題なんだ. 君が知っていることは次の通りだ. 翌日, 好奇心から私とSくんと君の3人は, 再びエロ本の山を見に行った. しかし, 既にそれは消えていた. それだけだ」

 

「そうだ. 消えていたから, 私たちはすぐに興味を失って, それっきり……」

 

「小学四年生か五年生なら, 今からちょうど10年前くらいか. そう……この10年間, 消えたエロ本の所在は, 誰の口からも語られなかった. そして, 『言わなかったからなかったことになった』んだね. 全て……あの日起こったことも……何もかも, なかったことに……」

 

「君は, 私の知らないことを知っているのか」

 

「私はこの10年間, いや, そしてこれからもだが, 真実は全て墓場まで持ってゆくつもりだった. しかし, つい最近になって事情が変わった」

 

「事情?」

 

「去年の夏に帰省したとき, Sくんの近況が耳に入ってきたんだ」

 

「そういえば, Sくんとは小学校を卒業してから会っていないね」

 

「彼, 失踪したらしい」

 

「失踪……?それは, いつからだ」

 

「去年の夏の時点で, もうすぐ一年になるといっていた」

 

「……そう, か……失踪……」

 

友人は一瞬取り乱したように見えましたが, すぐに落ち着きを取り戻しました. 実際, 私の小中時代の同級生の中には, 失踪した者はひとりやふたりではありませんでした. 

 

「私が思うに, Sくんはあの日, エロ本の山を見つけるべきではなかった」

 

「……まるで, エロ本の山によって, Sくんが狂ってしまったみたいな言い方じゃないか」

 

「どうだろう……もしかすると, そうかもしれないね」

 

この先のやり取りについては, 公然とブログに書き込めるものではありません. よって, この話はここで筆を置くことにします. 

 

それにつけても, 何が人生を破滅に導くか, 分からないものです. もしかすると, 私と友人の出会いもまた……

日記(3/14)

今日は, 理学部の成績開示日でした. 理学部は成績開示の期間が特殊で, 学科分けが既に済んでいるか否か, また回生によって成績の開示期間が異なります. 学科分けが済んでいる場合は, 開示は3月の中旬ごろとなり, 全学でもかなり遅い方です. 

 

さて, 2021年度後期を振り返ってみて, 改めて実感するのは, 「人生, 撤退さえしなければ, どうにでもなる」ということです. 

 

私は今期, 軽率に興味のある講義を履修登録し, その中には初回以降一度も出席することのなかったものから, 全ての回に出席して, 極めて満点に近い成績を目指したものまでありました. 

 

そのため, ほとんどの科目については, 単位取得の可能性は all or nothing でした. 実際, 開示された成績を見ても, そこには90点台か, そうでなければ0点(もしくは0点に近い点数)しかありませんでした.

 

ただ一科目の例外を除いては, ですが. 

 

よく, 理学部の授業は難しいと言われます. 実際, 私もそうした授業を経験してきました. しかし, それは全体のうち, ごく一部の例外です. そして今期, そのごく一部の例外に遭遇してしまったのです. 

 

その講義は, 昨年度から教員が変更になったため, あまり過去のデータがないのですが, 単位取得率を見ると, およそ60%といったところでした. この数字が高いとみるか低いとみるかは議論があるでしょうが, 個人的な所感としては, 専門科目としてはやや低いかな, という印象です. 

 

しかるに, 授業の内容は, 単位取得率から想像されるものよりはよほど難解でした. 理学部では最大の収容人数を誇る講義室で始まったそれは, 回を重ねるごとに出席率を落としてゆき, 最後の数回は, 初回授業の2割程度の学生が残っていればよい方でした. 

 

ここまで多くの脱落者を出して理由は, 講義の内容が難しかったからだけではありません. 多くの学生には厳しい一限の授業だったこと, 定期的に内容の重いレポートが課されたこと, そしておそらく最も学生の心を折るに至ったのは, そのレポート(他の講義であれば, それ単体で期末レポート並みの分量となるものが, 計3回課されたのですが)が成績評価に占める比率が, 高々15%にしか満たない, すなわち, 残りの85%は, 期末試験によって決定されるという残酷な事実でした. 

 

あれだけの分量のレポートを解いて, それでもなお成績の15%しか得られないという事実に絶望し, 多くの学生が「撤退」という選択を取りました. 生存戦略としては, なんら間違いのないものでした. 

 

私は, 逃げ遅れてしまいました. なんとか致命傷を負いながらもレポートを全て提出し, 10点余りを抱えた状態で, 期末試験会場にたどり着くこととなりました. 

 

期末試験で私を苦しめたのは, その回答欄の狭さでした. 明らかに狭すぎる余白に, 追加の解答用紙を貰うことも許されないまま, 私は泣きながらも必死で解答を埋めました. 

 

まさか, 解答用紙の余白という, 実力とはおよそ程遠い点で私は単位取得を阻まれるのかと, 試験終了時には深い絶望を覚えていました. 

 

単位取得の見込みは, 絶対評価であればおそらく不可, 相対評価であれば五分五分, というのが見立てでした. 

 

果たして, 今日の成績開示を見ると, 成績は68点, すなわち単位取得に成功していました. おそらく, 相対評価だったのでしょう. 決してよい成績ではありませんが, それでも単位取得には他なりません. 

 

結局のところ, 私は生活習慣の破壊, 社会性の喪失など, 多くの犠牲を払った上で, 単位取得に至りました. それを踏まえると, 早々に見切りをつけて, 撤退を選ぶべきだったのかもしれません. 

 

それでも, 「人生, 撤退さえしなければ, どうにでもなる」のでしょう. 

日記(3/12)

昨日はサークルの例会がありました. 私は京都大学藤子不二雄同好会というサークルに所属しているのですが, 週に一度の例会ではあまり, というよりもほとんど藤子不二雄先生に関連した話題が出ません. およそ五時間余りの例会において, その時間のうちほとんどは他愛のない雑談で占められています. 

 

私としては, 特にこの長期休暇は他者との関わりが極めて希薄になるので, 週に一度, こうした人と話をする機会を持てることは, 非常に貴重なものと言えるでしょう. 

 

とはいえ, 一週間前に映画ドラえもんの最新作が公開を迎えたこともあり, 昨日の例会ではドラえもんに関する話題がいくらか出ました. 

 

事の始まりは, 「日常生活で, どのような場面で感動するか」という話題からでした. 雑談の内容としては, ごく平凡なものです. ここから, 「感動して泣いたドラえもん映画は何か」という話題に, 雑談の内容が飛んだ, というわけです. 

 

私は1980年公開の『のび太の恐竜』以降, ドラえもん映画作品は全て視聴してきました. 映画館で初めて観たドラえもん映画は, 2007年公開の『のび太の新魔界大冒険』です. 

 

私が感動で泣いたドラえもん映画とその場面を, 一度挙げてみました. 

 

のび太の恐竜2006(2006)/ のび太とピー助の別れ

のび太の新魔界大冒険(2007)/ 美夜子, 美夜子父と美夜子母の別れ

のび太と緑の巨人伝(2008)/ のび太とキー坊の別れ

・新・のび太と鉄人兵団(2011)/ のび太ピッポの別れ, しずかとリルルの別れ

のび太と奇跡の島(2012)/ ダッケがのび太の父と判明する場面

 

こうして挙げてみると分かることとして, 私は「別れ」に対して非常に涙もろいということです. とはいえ, これらの場面は一般論として感動しやすいものです. 気になったのは, 最後の『のび太と奇跡の島』です.

 

この作品は, のび太の父(子ども時代)がタイムマシンで現代に連れてこられて, ドラえもんの道具のせいで記憶を失ったために, ダッケ(名前の由来は, 「(自分の名前は)なん"だっけ"?」から)という名前を持って, のび太たちと冒険を繰り広げる……という内容です. 『奇跡の島』が他作品と一線を画しているのは, 全編を通してのび太の父の存在が強調されている, という点です. 

 

私は, そもそも親子もの, もっと言えば「父と子」を描いた作品に弱いのかもしれません. 

 

別のドラえもん映画の話をしましょう. 『緑の巨人伝』は, 次のような内容で終わります. 

 

キー坊と別れを交わし, 帰宅したのび太ドラえもん. ふたりを出迎えるパパとママ. ママがキー坊の不在について「キー坊ちゃんは?」と尋ねると, のび太は俯いて, 視線を泳がせるばかり. それを見たママがのび太の頭を優しく撫でてやると, のび太はママに抱き着いて, そのまま奥の食堂へと消えてゆく. その一部始終を見ていたパパは, 何かを悟ったのか, ドラえもんに対して両手を広げ, ひとこと, 「いいよ」とだけ言う. ドラえもんもまた, パパに抱き着き, そこで物語は終わる……

 

個人的には, この場面が映画ドラえもんの中で最も「親」というものを丁寧に描き出したと思っています. 

 

ドラえもん映画はその性質上, 一貫して「子どもたちによる冒険」であり続けてきました. 同じく国民的アニメであるクレヨンしんちゃんの映画が, 度々「家族による冒険」を描いてきたことと対比しても, ドラえもん映画では大人による物語への介入がほとんどありません. 

 

親は, 冒険に出た子どもたちを家で待ち続ける存在であって, 既に冒険の舞台からはretireしているのです. だからこそ, 『奇跡の島』でのび太たちと冒険を繰り広げるのは, あくまでも"子ども時代の"のび太の父なのです. 

 

『緑の巨人伝』についてもう一点, 気になった部分があります. それは, のび太のパパとママが, キー坊をいかにして受け入れたか, という点です. 

 

のび太のママは, 大のペットぎらいです. 原作では, のび太が捨て犬や捨て猫を拾ってきて, それをママに隠して飼おうとしますが, やがてバレてこっぴどく叱られる, というのはお決まりの展開です. 

 

そうした中で, ドラえもん映画は, のび太のママが「ヒトでない生き物」をいかにして受け入れたか, もしくは受け入れなかったかという点で分類することができます. 

 

例えば, 『のび太の恐竜』では, のび太はママに隠してピー助を育てようとします. これは元々この作品が原作の短編から派生したものであることを考えれば, 特に疑問の余地はないでしょう. 

 

対して, 多くのドラえもん映画では, のび太のママはペットを, もしくはペットでなくとものび太が連れてきた「ヒトでない生き物」を受け入れてきました. 

 

のび太の大魔境』ではのび太の拾ってきた捨て犬ペコを(落としたバッグを見つけてくれたという理由付きではありますが)受け入れましたし, 『のび太の宇宙小戦争』では, 宇宙人であるパピくんを受け入れたうえに, 「(小さいから)食費がかからなくて助かる」という旨の発言までしています. 

 

『緑の巨人伝』も, 同様にキー坊をママは受け入れるのですが, 上の二作品と根本的に異なるのは, のび太のママもパパも, キー坊を家族の一員として受け入れている, ということです. 

 

実際, 『大魔境』と『宇宙小戦争』では, 最終的にペコともパピくんともお別れすることになりますが, それに対して, ママとパパが言及する描写はありません. 

 

対して, 『緑の巨人伝』では, 先に書いた通り, のび太のママとパパは, キー坊と別れたのび太を, 親としていかに受け入れるかという部分に描写を割いています. 

 

そもそも, ママがペットぎらいである大元の理由が, 原作ではついに明かされませんでした. しかし, 少なくとも動物が生理的に苦手, というわけではないようです. 

 

さて, 改めてドラえもん映画の最新作『宇宙小戦争2021』が公開されたわけですが, 近いうちに私も観に行くつもりです. 旧作の中でも名作と名高い『宇宙小戦争』のリメイクということで, 新キャラとしてパピくんのお姉さんが登場したりと展開が気になる作品です. 

日記(3/11)

午前中, 9時過ぎごろにスマートフォンの緊急速報が鳴り, そういえば今日は3.11から11年だということに気が付きました. 

 

当時のことは, 今もよく覚えています. 当時小学四年生の私は, 五限目の図画工作の授業で, 図工室にいました. そのとき, 扉を開けて教頭が入ってきて, 

 

「大丈夫でしたか」

 

と尋ねてきました. 私の住んでいた地域は, ほとんど揺れを感じませんでした. そのため, 私は教頭が何に対して「大丈夫」と問うたのか, さっぱり分かりませんでした. 

 

私が事態を知ったのは, 下校して帰宅したとき, 父がテレビを観ていたからでした. その日は県立高校入試の合格発表であり, 私の兄がちょうど受験生だったため, 帰宅したときの第一報は, 兄の入試結果の可否についてだと思っていました. 

 

しかし, テレビ画面に映る惨状を目に, 兄の人生の転機となるべきその日は, もっと重大な日になってしまったのでした. 

 

なお, 兄は無事第一志望の県立高校に合格していました(ところで, 私立高校と公立高校のどちらが第一志望になるか, という点は, 地域性が出るようです. 私の生まれ育った地では, 私立高校は公立高校の滑り止め, という認識でした). 

 

私や私の親族は被災者にはなりませんでしたが, 少し変わった形で, 震災と関わることになりました. 

 

私の父は, 建築士, 測量士です. 父は震災の後, 定期的に家を空け, 東北の被災地を訪れていたようです. 同じようなことが, 熊本地震の際にもありました. 父の測量の仕事には, 私も何度か手伝いに駆り出されました. 

 

どうやら, 父は被災地で測量調査に関わっていたようです. 結局, 父が普段の生活に戻ったときには, 地震の発生からおよそ一年余りが過ぎていました. 

 

父の仕事を見て育った私は, 高校一年までは建築系の学科志望でした. 結局, 自身の興味を優先して理学部に志望を変更しましたが, 父は内心では私に建築の道に進み, そしてゆくゆくは家業を継いでほしいと思っていたらしく, そのことを知ったのは, 私が大学に進学して三度目の正月, 父と初めて酒を飲み交わした夜のことでした. 

 

今さらそんなことを言われて, しかしどうしようもない私と父は, 静かに, ひょっとするとあり得たかもしれない未来を思って, 弱い酒を飲み干しました. 

日記(3/10)

前々日, 『みなみけ』という漫画を全巻まとめ買いして机の上に積み上げたのですが, そのためにタブレットPCを開くスペースがなく, 日記を更新できませんでした. 折に触れて感じるのは, 机の上にものが散乱していることは, それ自身が極めて生活水準を下げうる, ということでしょう. 

 

そして, 三日が経った今もなお, 『みなみけ』を読破できていません. まったく, 恥ずかしい限りです. 今日の日記は『みなみけ』について書いてもよかったのですが, それはまた別の機会にしましょう(このように言うとき, たいてい別の機会はないのですが, それはそれで構いません). 

 

その代わりに, 別の漫画の話をすることにします. それは, 『旅する海とアトリエ』という漫画です. まんがタイムきらら MAX にて連載され, 単行本は全2巻とこじんまりとした作品です. 

 

この作品は, いわゆる「旅もの」の漫画であり, 舞台はイベリア半島からイタリア, ウスタライヒ, クロアチアの地中海の北側に向かう地域です. 主人公はふたりですが, ともに自分のルーツを探すため, また自己を見つめ直すために旅に出ています. また, 2019年の12月に単行本1巻が刊行されており, すなわちそれは, この作品の連載期間がコロナ禍の大きな影響を受けたことを意味します.

 

そんな「旅もの」としては極めて厳しい状況の中で, 少し古い表現にはなりますが, 「旅は道連れ世は情け」を地でゆく作品というのが, 最も簡潔な説明になると思います(と言いつつ, なかなかうまい表現を見つけたなと思って読み返していたら, 作中で「旅は道連れ世は情け」の言葉がそのまま登場していました). 

 

旅先で出会う現地の人間と, まさに道連れになることで親交を深め, そして来るべき別れを惜しむ……人間関係の在り方としては極めて平凡なものかもしれませんが, 長らくそうした生活が失われていた身としてこの作品を読むと, 本当に心に染み入るものです. 

 

以前, 日記で同じくきらら作品であるところの『スローループ』について書いたとき, これはきららの王道に乗った作品だと評しました. 

 

対して『旅する海とアトリエ』は, あまりきらららしくないなと感じました. それは, きららが一貫して描いてきた, 「日常」とは距離を置いたところにあるからかもしれません. 

 

旅は, いつか終わります. その意味で, 「日常」とはむしろ対極にあると言ってもよいかもしれません. 

 

とはいえ, きらら作品としてのツボはある程度押さえているようにも思います. 年頃の女子が作品の中心にいること, コメディとしての側面を持つこと, キャラクターがデフォルメ化されること……等々, 挙げればきりがありません. 

 

あまり作品を人に薦めることがないのですが, この『旅する海とアトリエ』は, ぜひ読んで欲しい作品です. 

日記(3/7)

春休みの間に一度は帰省をしようと思っているのですが, 行動に移さないまま, 春休みも残り半分を切ってしまいました. 

 

ふと, 正月に帰省したときに家族と交わした会話を思い出しました. 

 

私の家族は, 全員大学を卒業していますが, 誰も私と同じように物理学を専攻してはいませんでした. そのため, 私が大学で学んでいる内容について, 家族はほとんど何も知りません. 

 

私が京都に帰る前日の夜, ふと父が私に尋ねました. 

 

「宇宙の始まりは, 今でもビッグバンということになっているのか」

 

父は大学で物理学を専攻してはいませんでしたが, 無類のSF好きでした. よくTSUTAYAでヌターウォーズの映画を借りてきては深夜にひとり鑑賞していたのを, よく覚えています. 

 

私が大学で宇宙物理学を学んでいるから, それでこんな質問をしたのでしょう. 

 

また, その前日には, 今度は兄が, 次のように尋ねてきました. 

 

「この宇宙は最期, どうなるんだ」

 

難しい質問です. 私は教養で受けた, 宇宙物理のリレー講義で聞いた内容を, そのまま話しました. 

 

私の説明をひととおり聞き終えて, 兄は

 

「宇宙物理なんて勉強していたら, 世の中の問題などちっぽけに見えるのだろうね」

 

と言いました. 果たしてそうでしょうか?

 

現に, 私たちは普段, 本当にどうでもよいことで悩み続けています. 将来への不安も, 消えることはありません. 

 

また, これは大学という場所がいかに実社会から離れているか, という問題と地続きであるように感じました. 

 

この手の思想は, 大学という場所を高尚なものとして実社会から切り離してしまうことにはならないでしょうか?

 

私の家族は, 私が大学で学問に没頭することに対して寛容ではありますが, そこに正しい理解があるかと問われると, 難しいものです. 

日記(3/6)

今日は, 朝から砂川の理論電磁気学を読み進めました. この本は一回生の夏ごろに買ったものですが, 初めて読んだときに, あまりの難しさに投げてしまった本でもあります. その後, もう少し易しい教科書を三冊ほど読み終えて, 再びこの本を開くに至ったときには, 既に三回生の冬を迎えていたのです. 

 

およそ二年ぶりに開いたこの本は, しかし当時の私が匙を投げてしまったほどの難しさを感じることはありませんでした. 行間が特筆して広いというわけでもなく, 確かに式変形の省略がないわけではありませんが, 丁寧に読み解いてゆけば, それほど混乱を招くものではないように感じました. 

 

ふと, そう感じてしまった自分におぞましさを覚えました. 

 

これは, 同じく一回生のときに挫折してしまった熱力学の教科書を, やはり三回生になって読み直したときにも感じたことでした. どうしてかつての自分は, これを難しいと感じたのだろう……と. 

 

私は一回生の頃, 教科書を読んでいて式変形に大きな飛躍を見出したとき, きまって「この著者はどうしてこんなに不親切なのだろう」と感じたものです. 続けて, 「もし自分だったら, 初学者が躓きやすいところはもっと丁寧に解説するのに……」とも思いました. 

 

しかし, 私もまた, かつて不親切だと感じた著者の側に立ちつつあるのだと思い至ったとき, 私はそれを「私も成長したな」と喜ぶわけにはいきませんでした. むしろ, かつての自分の苦しみに, 「難しい」という感情に寄り添うことができなくなってしまったことに, 言いようのない悲しさを覚えていたのです. 

 

もうすぐ四回生になる今でも, 教科書を読んでいて難しいなと感じることは日常茶飯事です. これが数年もすれば, 難しいとは思えなくなってしまうのでしょうか?そうなった日を思うと, 私は胸が締め付けられるようです.