嘘エッセイ置き場

アイコンは野比さんとこのへんなロボットです

〜2010年代前半のにおいがムンムンするから〜『空想少女は悶絶中』おかもと(仮) 感想

先日、「2026年に入って本を100冊読んだので、2026年マイベスト100を作る」という題のブログ記事を書きました。

vorfeld.hatenablog.com

マイベスト3は
1位 『同時代ゲーム』大江健三郎
2位 『空想少女は悶絶中』おかもと(仮)
3位 『ムーミンパパ海へいく』トーベ・ヤンソン
となりました。


 『同時代ゲーム』に関しては、日本の代表的作家である大江健三郎の作品ですし、『ムーミンパパ海へいく』も、広く知られているムーミンシリーズの作品なので、ここで詳しく感想を書く必要もないでしょう。そんなこなで、マイベスト3の中で明らかに知名度が低いと思われる『空想少女は悶絶中』の感想を書きます。
 なお、2026年8月27日現在、ツイスタで「空想少女は悶絶中」で検索して最新のポストが2018年2月19日のもの、読書メーターで最新の感想が2019年7月7日のものなので、2026年にこの熱量で本書の感想を書くというだけで、それなりに価値があると思っています。おそらく。

基本情報

タイトル 『空想少女は悶絶中』
著者 おかもと(仮)
出版社 宝島文庫/宝島社
初版刊行日 2014年4月18日
ページ数 285

『空想少女は悶絶中』表紙と帯。

 本書は短編集であり、表題作「空想少女は悶絶中」を含む5篇が収録されています。そして、本書の感想を書く上で重要な背景情報として、表題作「空想少女は悶絶中」はTV番組「世にも奇妙な物語」で映像化されています(「空想少女」2014年4月5日放送)。この放送日と、本書の初版刊行日を比較すると分かりますが、おそらく本書は、表題作が「世にも奇妙な物語」で映像化されるのに合わせて刊行された、「世にも奇妙な物語」ありきの短編集だと思われます。そんなことあるんだ……
 ちなみに、表題作「空想少女は悶絶中」の初出は『5分で読める!ひと駅ストーリー 乗車編』(宝島社、2013年)です。最近、こういう本を「ドパガキ小説」と呼んでいるポストをツイスタでちょくちょく見ますが、短編集って長編小説にある"遊び"がない分、密度が高くて疲れるねんな……と思っています。

各短編の感想

「マジ半端ねぇリア充研究記録」

初出:『5分で読める!ひと駅ストーリー 夏の記憶 西口編』(宝島社、2013年)
 「リア充爆発しろ!←本当に爆発します」をやりたかっただけの短編という感じ。そして「リア充爆発しろ!」って2026年では死語になったかナァ……と思いました。この短編の中で「リア充」は、ほぼ「ぱねえwww」だけで会話をする、言葉が通じない未開の部族のような描写のされ方をするのですが、2013年と2026年では「リア充」が指すものも大きく変わったのだと気づきました。実際、2013年の「リア充」が指すもの = 2026年の「ウェーイ系」「DQN」が指すものくらいの印象を受けました。
 2013年も遠くなりにけり。

「『サンタクロースの冬』事件裁判の結果報告」

初出:『5分で読める!ひと駅ストーリー 冬の記憶 東口編』(宝島社、2013年)
 おとぎ話が現実で起こったら?系統の短編で、要するに、サンタクロースが住居侵入で逮捕され裁判にかけられる話です。最近はこういう話をとんと見なくなったけれど、となるとこれも2010年代の流行だったのでしょうか?
 安易なロリコンネタが入っているのも、2010年代という感じで、奇妙な懐かしさを覚えます。

「空想少女は悶絶中」

初出:『5分で読める!ひと駅ストーリー 乗車編』(宝島社、2013年)
 たった8ページの超短編で、内容は「電車で目の前に立ったお婆さんに席を譲るかどうか、脳内で妄想を繰り広げながら悩む女子高生」の話です。この空想少女の脳内では、彼女は戦国武将になりきっているのですが、妄想好きの女子高生(読書好き)が戦国武将好きってちょっとステレオタイプなオタク女子すぎないか?と思いました。「世にも奇妙な物語」で映像化された方では、能年玲奈が空想少女を演じているのですが、当時テレビで観たはず(それで本書を購入して、12年間積読していた)なのに、内容をほとんど覚えていません。

「空想少女は悶絶中 腐れ維新」

初出:書き下ろし
 コテコテの、コッテコテの腐女子小説です。2010年代の学校には、クラスにひとりかふたりこういう女子がいて、『黒子のバスケ』のクリアファイルを使っていたことを、鮮明に思い出すことができました。内容は「BL本が蔓延した高校で、風紀委員が腐れ思想を撲滅すべく暗躍する」というもので、タイトルから察せられる通り、風紀委員 = 新撰組、腐れ思想を持った生徒 = 維新の志士なわけで、そんな純度100%の腐女子ワールドが展開されるのは、どこか痛快でもあります。それと同時に、BLを通じて絆を深める主人公たちの、等身大の友情小説として優れていて、2026年なら百合小説と形容されてもおかしくなかっただろうなと思います(百合の定義次第ですが、正確には「女性同士の絆」くらいが穏当な表現かな……)。

「新約 伝説兄妹!」

初出:『伝説兄妹!』(このライトノベルがすごい!文庫、2010年)を加筆修正・改題し収録
 初出から分かる通り、本作はライトノベルです。元の『伝説兄妹!』は、第1回「このライトノベルがすごい!」大賞の特別賞を受賞した、著者の商業デビュー作のようです。内容は「冴えない主人公の前にある日突然、天使が現れて、妹として一緒に暮らし始めて、そんなこんなで楽しく過ごしていたら、なんか天使の正体を知る謎の女性が現れて、天使のせいで世界滅亡の危機に巻き込まれて……」という、いかにもなセカイ系の物語です。これを読んだとき、『君の名は。』『天気の子』「涼宮ハルヒ」シリーズなどなど、これまで触れてきたセカイ系作品の数々が走馬灯のように浮かんできたわけですが、それ以上に、『バカテス』『俺妹』『エロマンガ先生』『はがない』『妹さえいればいい。』『変猫』『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』『さくら荘』『のうコメ』など、2010年代前半のライトノベルのことが自然に思い出されました。そして、「ある日突然、目の前に妹が現れて同居生活が始まる」というのは、2010年代前半の全てのオタクの夢だったことを、どうしてこんな重要な事実をさえ忘れていたのだろう?と驚きに満ちた気持で諒解したのです。
 余談ですが、「新約 伝説兄妹!」は、『空想少女は悶絶中』全285ページのうちの約210ページを占めるので、ほとんど「新約 伝説兄妹!」and more!な短編集になっています。
 さらに余談ですが、加筆修正・改題前の『伝説兄妹!』の内容が気になったので、中古で(というか、中古でしか手に入りませんが)買ってきました。全3巻セットで490円でした。第1巻の内容を加筆修正・改題したものが「新約 伝説兄妹!」です。「新約 伝説兄妹!」の方には挿絵がついていないのですが、『伝説兄妹!』の方はちゃんと挿絵がついています。やっぱり、ライトノベルには挿絵が必要というか、小説に挿絵がついているのって、なんか素敵ですね。

『伝説兄妹!』全3巻。

総評

 2010年代前半の空気感をここまで鮮やかに描き出した(描き出したというか、2010年代前半に書かれた話なのだから、当然と言えば当然なのですが)短編集を、私は他に読んだことがありません。正直なところ、この短編集を読んだだけで2010年代前半の日本について語ってしまっても、一向に問題ないだろう!とすら思いました。
 小説に対して、「時代を経ても色褪せない名作」とか「〇〇年前の作品なのに、全く古臭さを感じない」というふうな賛辞が送られることがありますが、この短編集は、その対極に位置する、2010年代前半の日本を閉じ込めたような趣を感じます。特に「マジ半端ねぇリア充研究記録」に関しては、「リア充爆発しろ」という当時の流行語を知らない世代が読んだら、なんのこっちゃ理解できないでしょう。
 そういうわけで、2010年代前半の雰囲気の中に、それから10年余りが過ぎた2026年の今になって身を置いてみるというのは、タイミングとしてはかなりよかったのではないかと思っています。


 それはそれとして、2026年現在『空想少女は悶絶中』を新品で手にいれるのはほぼ不可能ですし、確認した限り電子書籍でも未配信なので、気軽に薦められる本ではないですね。メルカリを見たら、いちおう販売中の出品が3件ヒットしました。

メルカリの「空想少女は悶絶中」の検索結果。帯が全部同じだ……

おわりっ

Q. この本のどこが魅力?
A. 2010年代前半のにおいがムンムンするから


さよなら、2010年代前半。変な時代でした。

2026年に入って本を100冊読んだので、2026年マイベスト100を作る

これはなに

2026年に本(漫画を除く)を100冊読んだ筆者が、100冊のランキングを作る

書いた人

男性、26歳、学生

書いた人が好きなもの

少年サンデーのラブコメ、まんがタイムきららのラブコメ、くらげバンチのラブコメ、百合姫のラブコメ、コミックキューンのラブコメ

形式

大分類(しょーもな、まあまあ、よかった、ケッサク)に分けたあと、各分類の中でなんとなく順位づけ

100冊の構成

新書 1冊
一般書 1冊
小説 98冊

  • 日本の小説 67冊
  • 海外の小説 31冊

読み終わる目安時間

1作品5秒×100冊 = 500秒

ランキング(降順) & ひとことコメント

しょーもな(3冊、100位~98位)

『現代思想入門』千葉雅也
「現代の思想」かと思ったら、「現代思想(固有名詞)」だった……(これはアタシが悪いんだと思う)


『大人のための残酷童話』倉橋由美子
「童話を大人向けにブラックに改変しました!」ってちょっと露悪的すぎると思う


『政治的に正しい警察小説』葉真中顕
タイトル詐欺です

まあまあ(17冊、97位~81位)

『これは学園ラブコメです』草野原々
これはメタフィクションです


『京都SFアンソロジー ここに浮かぶ景色』
タテカン闘争ってテーマとしてニッチすぎる


『どうせそろそろ死ぬんだし』香坂鮪
叙述トリックには気をつけよう!


『タイムマシン』ウェルズ
タイムパラドックスとかもないし、タイムトラベル設定の必然性はない気がする……


『京都寺町三条のホームズ』望月麻衣
ライトな京都小説としてちょうどいいと思う


『銀河鉄道の夜』宮沢賢治
死んだ人間が天上世界に行くみたいな話が多い気がする……


『琥珀の夏』辻村深月
これって百合小説なんかナァ


『友達以上探偵未満』摩耶雄嵩
高校生探偵もので殺人事件が起きるのってけっこう珍しいと思う


『ガリヴァー旅行記』スウィフト
初出が1726年なので、ちょうど300年前の小説という驚きがある。小人の国に行く話かと思いきや、それは全4章立ての第1章だけというのも驚きだ


『文豪たちの妙な話 ミステリーアンソロジー』
文豪も「日常の謎」とか書くんだ……


『ピエタとトランジ』藤野可織
百合バディものミステリかと思ったら、トンチキSFディストピア小説だ……!


『フランケンシュタイン』シェリー
「フランケンシュタインって怪物じゃなくて怪物を作った人の名前なんだよ」とかいう雑学って意味ないと思う


『エイダンをさがして』レヴィサン
冒険に連れて行ってもらえなかった子の物語、それって出木杉君の話ってこと!?


『ジョン・レノン対火星人』高橋源一郎
ジョン・レノンも火星人も出てこない


『夏休み』中村航
表紙イラストから想像する青春小説とはかけ離れた内容すぎる、表紙イラストを描いた人は本を読んでいないと思う


『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』ディック
結論:アンドロイドは電気羊の夢を見ない!


『1973年のピンボール』村上春樹
『万延元年のフットボール』を読んでいても読んでいなくても楽しめると思う

よかった(39冊、80位~42位)

『幼年期の終わり』クラーク
藤子・F・不二雄のSF短編に与えた影響の大きさを実感する


『友情』武者小路実篤
登場人物全員キモすぎる!それでもキモい人生こそ文学になると思う


『月の満ち欠け』佐藤正午
こういう"シャバい"小説がいっちゃん好き!


『お探し物は図書室まで』青山美智子
人間讃歌、サイコー!


『こころ』夏目漱石
「私」ってこの後どうなるんだ?


『猫泥棒と木曜日のキッチン』橋本紡
図書館の本をこっそり持ち出したり、猫泥棒をする主人公たち、アナーキーで最高だ


『言語小説集』井上ひさし
劇作家をやっていただけあって、言葉をテーマにした話作りがうまいな……


『ひとり吹奏楽部』初野晴(ハルチカ番外編)
ハルチカシリーズって2010年代の空気感がムンムンしているわけだけれど、今から続刊なんて出せるんかナァ(続刊出してほしい!)


『小さなトロールと大きな洪水』トーベ・ヤンソン
ムーミンシリーズって思ったより災厄に見舞われていて大変だ


『退出ゲーム』初野晴(ハルチカ第1巻)
「日常の謎」ミステリっていいよね……


『ムーミン谷の彗星』トーベ・ヤンソン
スナフキンの「持ち物をふやすというのは、ほんとにおそろしいことですね」という台詞が、なんだか素敵だ


「ずっとお城で暮らしてる」ジャクスン
ホラーとミステリの合いの子みたいな小説だ


『黒猫/モルグ街の殺人』ポー
推理小説の元祖らしいけれど、今読んでも面白いからすごいと思う


『機関車先生』伊集院静
敵対していた者同士が、身体でぶつかり合って和解するというのは、ちょうど同じ時期に観た「パリに咲くエトワール」を思い起こさせる。全然関係ないけれど、藤子・F・不二雄ミュージアムに藤田嗣治の絵が展示されていたのを思い出した


『あなたの人生の物語』テッド・チャン
宗教的モチーフが豊富なSFという印象、表題作のタイトルもカッコいいよね


『たのしいムーミン一家』トーベ・ヤンソン
真に自由に、生き生きと暮らすムーミンたちは、美しく、眩しい


『死ねばいいのに』京極夏彦
「死ねばいいのに→死にたくない!」を積み重ねた先の結末は、あまりに恐怖だ


『サーカスの怪人』江戸川乱歩
作者による種明かしパートが突然始まる、新鮮なミステリだ


『見習い天使』佐野洋
1960年ごろの小説とはいえ、出てくる夫婦が軒並み不貞に走っていて、60年以上未来では夫婦ラブコメが大流行しているなんてウソみたいな話だ


『人間じゃない』綾辻行人
京大ミステリ研っていったいなんなんだ?


『凍りのくじら』辻村深月
ドラえもんフォロワー小説として先駆的な作品だと思う


『初恋ソムリエ』初野晴(ハルチカ第2巻)
学生運動世代の記憶を紐解くって、『氷菓』も似たようなことやっていたぞ!


『惑星カロン』初野晴(ハルチカ第5巻)
青春はいつか終わる、その後どうなる?


『小説家の作り方』野崎まど
これを2011年に書いているのってちょっとすごすぎるけれど、でも「おちゃめなAI」って『ドラえもん』とか先行例もたくさんあると思う


『受験生は謎解きに向かない』ホーリー・ジャクソン
『自由研究に向かない殺人』へ続く前日譚ものとしてパーフェクトな小説だと思う


『文学部唯野教授』筒井康隆
牧歌的な時代の大学(贈賄、研究費不正のオンパレード)


『完全なる首長竜の日』乾緑郎
『バナナフィッシュにうってつけの日』の翻案小説、というより2次創作?


『猫を拾いに』川上弘美
女性同士の絆を描いたら一級の作家だと思う


『5分間SF』草上仁
短編SFとミステリってかなり親和性が高いと思う


『魔女の宅急便』角野栄子
映画のリバイバル上映を観た後に読んでみて、原作の方がカラッとした雰囲気だ


『エロイカ変奏曲』三田誠広
「何者かになりたい」という強迫観念を肯定的に書く小説って最近はあまりないから、1982年発表の小説だナァという感じだ


『君を愛したひとりの僕へ』乙野四方字
『僕が愛したすべての君へ』乙野四方字
「並行世界がハッピーエンドなら、今いる世界がバッドエンドでもいいのか?」←いいわけなさすぎる


『ねじの回転』ヘンリー・ジェイムズ
なんか、語り手が信用できないぞ!


『日常の小説』椎出啓
漫画の『日常』の空気感を小説で表現するのってかなり厳しいかと思ったけれど、意外とやれてるな……


『風に舞い上がるビニールシート』森絵都
普通に小説が巧いというか、読者の予想を外しながら心地よい結末に持っていく手腕が素晴らしい


『狂気の山脈にて』ラヴクラフト
『SAN値直葬!闇バイト』のショゴスちゃんて愛らしい仲間という感じだったけれど、こっちのショゴスは普通に敵みたいな感じ……


『リミナルスペース 新しい恐怖の美学』ALT236
インターネットの文化を紙の本に起こす人をもっと応援したいと思う。中身はリミナルスペースを歴史的な流れの中で位置付ける、至って真面目なもので、そこも好感が持てる


『変身』カフカ
主人公が死んだ直後、残された家族が泣き腫らした顔をするのだけれど、これって喜びの涙と悲しみの涙、どっちなんだろう?

ケッサク(41冊、41位~1位)

『ムーミン谷の夏まつり』トーベ・ヤンソン
洪水で家から逃れて、流れてきた劇場に移り住むというストーリーのユニークさが目を惹く。そして、スナフキンのスパダリぶりが光る、スナフキンガチ恋文学少女と共鳴した気分だ


『たったひとつの冴えたやりかた』ティプトリー
忘れられた物語を保管する番人としての司書ってカッコいい!


『ゴヂラ』高橋源一郎
実在の女優や女性アイドルを登場させて性的な眼差しを向けるって、2026年の小説ではちょっとできない気がするけれど、これが講談社文芸文庫に入っているということは、なんらかの文学的価値があるってことだよネェ……


『ムーミン谷の冬』トーベ・ヤンソン
これは、「けっきょくママは偉大」という話だと思う


『ブランコのむこうで』星新一
様々なひとの夢の中を渡り歩きながら、主人公の少年が触れるのはひとりひとりの歩んできた人生の物語で、素晴らしい人生讃歌だ


『ムーミンパパの思い出』トーベ・ヤンソン
父と子の継承の話ってアタシの大好物なんだ


『アルプスの少女ハイジ』シュピリ
ハイジの成長譚というより、ハイジの持ち前の明るさによって、周囲の人々が救われてゆく話だ


『駒場の七つの迷宮』小森健太朗
ミステリのオチに言葉遊びを持ってくる代表作といえば『氷菓』だけれど、これもそういうミステリで、アタシの好みだ


『左京区恋月橋渡ル』瀧羽麻子
最後に少年が涙を流す小説は、名作だ(大学院生だって、初恋を終えたばかりならもちろん少年だ)


『空想オルガン』初野晴(ハルチカ第3巻)
吹奏楽の大会当日に事件が起きて、演奏本番までに事件を解決しなければならないという時間の制約がうまく話を引き締めていると思う


『千年ジュリエット』初野晴(ハルチカ第4巻)
青春ミステリ×文化祭というのは古典部シリーズでもやっているけれど、これぞ青春ミステリの醍醐味だ


『ムーミン谷の十一月』トーベ・ヤンソン
ムーミンシリーズ最終作にして、ムーミン一家が登場しないというのは驚きだけれど、それでもムーミン一家の周縁にいる人々の懸命に生きる姿が光る傑作だ


『その可能性はすでに考えた』井上真偽
本格ミステリを謳うだけあって、緻密な論理の組み立てで可能性を潰していくというのは感心するけれど、読者としてはレヴェルが高すぎて頭がついていけないというのが正直なところだ


『自由研究には向かない殺人』ホーリー・ジャクソン
探偵役の主人公が不法侵入やなりすましなど、ガッツリ違法捜査をするミステリってすごいや!ドラッグの売買がストーリーの中核に絡んでくるのなんかは、日本の青春ミステリではなかなか見られないけれど、主人公の勇敢さ、ひたむきさは美しい


『パン屋再襲撃』村上春樹
元カノとの絆を今カノが上書きするには、一緒にパン屋を襲って共犯関係を築くしかない!←ヤバすぎ!


『ムーミン谷の仲間たち』トーベ・ヤンソン
ムーミントロールとスナフキンの友情って、ホンマに泣けるな……


『盆土産と十七の短編』三浦哲郎
「メリー・ゴー・ラウンド」と「とんかつ」を連続で載せるの、絶対わざとやってると思う


『万延元年のフットボール』大江健三郎
日本人って「生き残った学生運動世代」とか「学生運動で傷ついた人びと」の話をしすぎだと思う


『死者の奢り・飼育』大江健三郎
戦後日本人の、敗戦国の国民としての劣等感みたいなものが克明に描かれていると思う


『雪が白いとき、かつそのときに限り』陸秋槎
自分が20代になってみると、10代で自分の才能に見切りをつけてしまうのって本当に愚かだと思うけれど、そういう愚かさって本当にみずみずしくて眩しい


『金閣寺』三島由紀夫
現実に起きた事件について、犯人の障害、親類関係、通っている大学まで同じ設定でこんなフィクションを書いてしまうのってちょっとすごすぎる


『永遠の放課後』三田誠広
『いちご同盟』みたいな青春の痛みは勘弁して……と思っていたら、普通にハッピーエンドでよかった


『乳と卵』川上未映子
帯に「一夜にして、現代日本文学の風景を変えた芥川賞受賞作」という煽り文句がついていて、ホーという感じだ


『十五少年漂流記』ヴェルヌ
これって「大長編ドラえもん」ですね


『老人と海』ヘミングウェイ
やっぱり、少年が最後に泣くのがミソで、なぜなら、少年が最後に涙を流す小説は名作だからだ


『MISSING』本多孝好
残された人々がどう生きるか?と言われても、それでも生きていくしかないじゃんねぇ


『叙述トリック短編集』似鳥鶏
こういうテクニカルな小説を読むと、純粋に楽しい


『この本を盗む者は』深緑野分
主人公の勇気溢れる行動に読者も強く心動かされる、一級品の青春ファンタジー小説だ(未だに映画を観られる場所がないのって変だよ!)


『陽だまりの彼女』越谷オサム
夫婦ラブコメかと思いきや、突然ファンタジーになり、ミステリに着地する、変な小説だけれど、いい小説だ


『クララとお日さま』カズオ・イシグロ
人工知能のクララが「お日さま」に対して、ほとんど狂気とも言えるほどの強い信仰を示すのが印象的で、信仰を持つことってなんなんだろう?と思う


『昨日星を探した言い訳』河野裕
青春小説でハッピーエンドとなれば、もちろんアタシの大好物だ


『ナイン・ストーリーズ』サリンジャー
Q. 男はなぜ自殺した?
A. この世界がニセモノだと分かったから!


『神様のいない日本シリーズ』田中慎弥
複数のモチーフが、「待ち続ける」というひとつの共通したテーマの中で絡み合い、共鳴しながら収束してゆく構成の巧みさに唸る


『百年の孤独』マルケス
要するに、『百年の孤独 in Japan』=『同時代ゲーム』ということだと思う


『ストーリーの迷宮』阿刀田高
「ストーリーの迷宮」は短編集の中の表題作だけれども、他の短編もひっくるめて、読者を「ストーリーの迷宮」に引き込む、不思議な短編集だ


『蹴りたい背中』綿矢りさ
主人公の友人キャラ、好きだナァ


『女神』三島由紀夫
小説の中で唐突に作者が顔を出してきて解説をし始めたり、三島先生って実はけっこう面白い人?


『空飛ぶ馬』北村薫
女子大生の主人公と探偵役の噺家によって展開する「日常の謎」ということで、これまであまり読んだことがないタイプのミステリだけれど、どこか古典部シリーズやハルチカシリーズへの影響を思わせる


『ムーミンパパ海へいく』トーベ・ヤンソン
ムーミンパパ、ムーミンママ、ムーミントロールが新生活で鬱になっていく中、リトルミィだけが自分を失わず気ままに暮らしているというのは、彼女の強さを感じるところだ


『空想少女は悶絶中』おかもと(仮)
コテコテの腐女子小説とか、セカイ系ラノベとか、実に2010年代前半的な短編集で、この短編集だけを読んで、2010年代前半について語ってしまっても構わないと思う!


『同時代ゲーム』大江健三郎
トンチキ村のトンチキ郷土史、最高のギャグ小説だ

感想

・古典部シリーズに何度も言及しているわりに、米澤穂信作品が1つもないのはちょっと変だ
・ドラえもんが好きすぎて、あらゆる物語にドラえもんの断片を見出しているように思える
・千葉雅也先生のことはわりと好きというか、小浜・京都ルートが正式決定したらしいという話を目にし、そこからバババッと推論がいろいろと飛んで、結論としては、今後、アメリカ民主党が重要になるだろうという考えに至った

読んでくれてありがとう

アタシがしょーもなに分類した本も気にいる人がいると思うから、気になったら読んでみるといいと思う

日記(3/15)

期せずして某回転ずしチェーンのクーポンを手に入れたので, 例の友人を誘って食べに行きました. と言っても, 私と友人の下宿から最寄りの店までは, 自転車で30分近くを漕がないといけなかったのですが, 半額クーポンを前にして, 私たちは頭を下げるほかありませんでした. 

 

私は, 少なくとも大学入学のために京都に移り住んで以来, 回転ずしというものを一度も食べたことがありませんでした. 私にとって, 回転ずしとは休日に家族に食べに行くものであって, ひとりで行く場所ではなかったのです. 

 

私を回転ずしに連れて行くのが, 父親だったか, もしくは母親だったかによって, その傾向は大きく異なりました. 健康志向の母は, いわゆる100円すしに連れてゆくのを避けて, 回転ずしの中でもなるべく値段の張る店に私を連れてゆきました. それでも, 最も値段の低い皿で130円ほど, 最も値段の高い皿では1500円程度の, あくまで庶民が手に届く範囲のものでしたが. 実際, 例えば私と姉と母の3人で食べに行ったとしても, その会計はせいぜい4000~5000円ほどだったと記憶しています. 

 

対して父親は, 子どもに食べさせるものは健康的でなければならない, とはあまり考えていなかったようです. 父は私を100円すしに連れてゆきました. 私は舌が肥えているわけではありませんでしたし, それで不満を覚えることもありませんでした. 

 

さて, 話を戻して, 友人とテーブル席に座り, 私は流れている皿を一枚取りました. 友人は私よりも回転ずしに慣れているようで, 流れている皿は取らずに, すぐにタッチパネルを操作し始めました. 

 

思えば, かつて回転ずしで初めてタッチパネルでの注文方式を目の当たりにしたとき, ついに人類もここまで来たのかと, その近未来的なシステムに感動を覚えたものです. 今の子どもたち, つまり生まれた頃からスマホやインターネットが間近にあるような暮らしをしてきた者にとっては, これはさして感動を覚えるものではないのでしょうか. 

 

「子供の頃, 母に連れられて行った回転ずし店は, 注文をタッチパネルで行っていたのだけれど, そのパネルがipadだったんだ」

 

「ああ, あまり規模の大きくない店なら, そういうところもあるだろうね」

 

「それを見て, 私はよくホームボタンを押して遊んだものだよ」

 

「私もよくそういう小さないたずらをした. あれは, 店側が意図しない操作をするのが楽しいのかしら」

 

「うむ. おおむね, そんなところだろうね」

 

確か私が連れていかれた店では, ホームボタンの上にシールが貼られていたのですが, とはいえシールの上からホームボタンが簡単に押せるものでした. 

 

「そうだ, 意図しない操作で思い出したんだがね. うちの下宿のエレベータだけど, その操作パネルが新しくなったんだ. 階数を表示するモニターがランプ式から液晶パネルに変わってね」

 

「それは楽しいね」

 

「それはいいのだけれど, 大きな欠陥を見つけたんだよ」

 

「ほう」

 

「それがね, エレベータが動いているときに『開く』ボタンを押すと, 動いているにも関わらず扉が開いて, その直後にけたたましい警報音が鳴ってエレベータが緊急停止するんだ」

 

「それは恐ろしい仕様だね」

 

「うん. 普通は, エレベータが動いているときに『開く』ボタンを押しても, 反応しないように作るものだろう?だから, この欠陥を見つけたときは, 本当に驚いたよ」

 

「ところで, 君はどうしてエレベータが動いている最中に『開く』ボタンを押すなんて, 意図しない操作を行ったんだい?」

 

友人は私をなじりました. 

 

「いや……エレベータに乗っているときに, なんとなく他の階のボタンを押して遊んだりするくらい, 人間なら誰でもやるだろう. ジュースにストローを突っ込んで, 息を吹きかけてぶくぶくするようなものだよ」

 

「少しからかっただけだよ」

 

友人は笑いながら, マヨコーンの軍艦を口に運びました. 

 

「それ, 『マヨコーンが真横ーん』ってTwitterに投稿したりはしないのかい」

 

「そのネタ, 正直こすられすぎて面白みに欠けると思うんだ」

 

「そうかしら. 湯飲みの注ぎ口の写真と一緒に, 『ここは何をするところですか?』とツイートする文化は, 今でも目にするけれど」

 

「私は, そのツイートも冷ややかな目で見ているよ」

 

「様式美といった感じで, 私はきらいではないけどね」

 

「それで, エレベータの件に戻るけれど, 君はあれだろう. 『設計はユーザーによる意図しない操作も想定すべき』と言いたいんだろう?」

 

「そうだね. 特にエレベータで移動中に扉が開くなんて, 重大事故につながりかねないからね」

 

「その欠陥は, 大家や管理会社には報告したのかい?」

 

「いや, まだしていないし, するつもりもないよ」

 

「それはどうして?」

 

「わざわざ報告して, 『どうしてそんな意図しない操作をしたんですか』と問われたくはないからね」

 

「責められているように感じる?」

 

「少しだけね. それに, 一応扉が少しだけ開いてすぐに緊急停止するから, 重大事故にはならないよ」

 

「それで, 万が一事故が……取り返しのつかない結果になったら?」

 

私は, 手に持っているえんがわの握りを皿に置きました. 

 

「……どうしようかしら. 『実は私は, ずっと前から危険性を認識していたんです』とでも言えばいいのかい?」

 

友人は湯飲みをほんの少し口につけて, すぐに机に置きました. 

 

「……世の中には, バグを報告すると怒られるような環境があるらしいね. 曰く, 『言わなければ分からなかったのに, 余計な仕事を増やした』と」

 

「なんだか, それは『寝た子を起こすな』論みたいだね」

 

「……まったく, ひどい話だよ」

 

私は, 改めてえんがわの握りを口に運びました. 

 

「もし君がエレベータのことを報告しないと言うなら, 私が気付いたものとして報告しても構わないが」

 

「君にそこまでさせるわけにはいかないよ」

 

「しかし……」

 

「君は, 昔から不正義を正してきたものね. だから, この問題を放置しておけないのは分かるよ. でも……」

 

空になった皿を投入口に入れると, それはするりと流れていきました. 

 

「信じたくないことだけれど, 『言わなかったからなかったことになった』もので, 世の中は回っているのかもしれないね」

 

「……」

 

「……少し, 昔ばなしをしようか」

 

友人は何も言いませんでしたが, 私は構わず続けました. 

 

「小学四年生だったか五年生だったか……中学は別になってしまったSくんのアパートの裏で, しわしわになったエロ本の山を見つけたことがあったろう. 覚えているかい. まるで漫画みたいな話だが, 実際に私たちはこの目で見た」

 

「そんなこともあったね. あれは大騒ぎだった」

 

「ちょうど, 思春期にさしかかって, 異性を意識し始める齢だったからね. 自宅にインターネット環境のある子も少なかったし, 本当に衝撃的だったよ」

 

「結局, あれを見つけた後はどう処理したのだったか……」

 

「……そう, そこが問題なんだ. 君が知っていることは次の通りだ. 翌日, 好奇心から私とSくんと君の3人は, 再びエロ本の山を見に行った. しかし, 既にそれは消えていた. それだけだ」

 

「そうだ. 消えていたから, 私たちはすぐに興味を失って, それっきり……」

 

「小学四年生か五年生なら, 今からちょうど10年前くらいか. そう……この10年間, 消えたエロ本の所在は, 誰の口からも語られなかった. そして, 『言わなかったからなかったことになった』んだね. 全て……あの日起こったことも……何もかも, なかったことに……」

 

「君は, 私の知らないことを知っているのか」

 

「私はこの10年間, いや, そしてこれからもだが, 真実は全て墓場まで持ってゆくつもりだった. しかし, つい最近になって事情が変わった」

 

「事情?」

 

「去年の夏に帰省したとき, Sくんの近況が耳に入ってきたんだ」

 

「そういえば, Sくんとは小学校を卒業してから会っていないね」

 

「彼, 失踪したらしい」

 

「失踪……?それは, いつからだ」

 

「去年の夏の時点で, もうすぐ一年になるといっていた」

 

「……そう, か……失踪……」

 

友人は一瞬取り乱したように見えましたが, すぐに落ち着きを取り戻しました. 実際, 私の小中時代の同級生の中には, 失踪した者はひとりやふたりではありませんでした. 

 

「私が思うに, Sくんはあの日, エロ本の山を見つけるべきではなかった」

 

「……まるで, エロ本の山によって, Sくんが狂ってしまったみたいな言い方じゃないか」

 

「どうだろう……もしかすると, そうかもしれないね」

 

この先のやり取りについては, 公然とブログに書き込めるものではありません. よって, この話はここで筆を置くことにします. 

 

それにつけても, 何が人生を破滅に導くか, 分からないものです. もしかすると, 私と友人の出会いもまた……

日記(3/14)

今日は, 理学部の成績開示日でした. 理学部は成績開示の期間が特殊で, 学科分けが既に済んでいるか否か, また回生によって成績の開示期間が異なります. 学科分けが済んでいる場合は, 開示は3月の中旬ごろとなり, 全学でもかなり遅い方です. 

 

さて, 2021年度後期を振り返ってみて, 改めて実感するのは, 「人生, 撤退さえしなければ, どうにでもなる」ということです. 

 

私は今期, 軽率に興味のある講義を履修登録し, その中には初回以降一度も出席することのなかったものから, 全ての回に出席して, 極めて満点に近い成績を目指したものまでありました. 

 

そのため, ほとんどの科目については, 単位取得の可能性は all or nothing でした. 実際, 開示された成績を見ても, そこには90点台か, そうでなければ0点(もしくは0点に近い点数)しかありませんでした.

 

ただ一科目の例外を除いては, ですが. 

 

よく, 理学部の授業は難しいと言われます. 実際, 私もそうした授業を経験してきました. しかし, それは全体のうち, ごく一部の例外です. そして今期, そのごく一部の例外に遭遇してしまったのです. 

 

その講義は, 昨年度から教員が変更になったため, あまり過去のデータがないのですが, 単位取得率を見ると, およそ60%といったところでした. この数字が高いとみるか低いとみるかは議論があるでしょうが, 個人的な所感としては, 専門科目としてはやや低いかな, という印象です. 

 

しかるに, 授業の内容は, 単位取得率から想像されるものよりはよほど難解でした. 理学部では最大の収容人数を誇る講義室で始まったそれは, 回を重ねるごとに出席率を落としてゆき, 最後の数回は, 初回授業の2割程度の学生が残っていればよい方でした. 

 

ここまで多くの脱落者を出して理由は, 講義の内容が難しかったからだけではありません. 多くの学生には厳しい一限の授業だったこと, 定期的に内容の重いレポートが課されたこと, そしておそらく最も学生の心を折るに至ったのは, そのレポート(他の講義であれば, それ単体で期末レポート並みの分量となるものが, 計3回課されたのですが)が成績評価に占める比率が, 高々15%にしか満たない, すなわち, 残りの85%は, 期末試験によって決定されるという残酷な事実でした. 

 

あれだけの分量のレポートを解いて, それでもなお成績の15%しか得られないという事実に絶望し, 多くの学生が「撤退」という選択を取りました. 生存戦略としては, なんら間違いのないものでした. 

 

私は, 逃げ遅れてしまいました. なんとか致命傷を負いながらもレポートを全て提出し, 10点余りを抱えた状態で, 期末試験会場にたどり着くこととなりました. 

 

期末試験で私を苦しめたのは, その回答欄の狭さでした. 明らかに狭すぎる余白に, 追加の解答用紙を貰うことも許されないまま, 私は泣きながらも必死で解答を埋めました. 

 

まさか, 解答用紙の余白という, 実力とはおよそ程遠い点で私は単位取得を阻まれるのかと, 試験終了時には深い絶望を覚えていました. 

 

単位取得の見込みは, 絶対評価であればおそらく不可, 相対評価であれば五分五分, というのが見立てでした. 

 

果たして, 今日の成績開示を見ると, 成績は68点, すなわち単位取得に成功していました. おそらく, 相対評価だったのでしょう. 決してよい成績ではありませんが, それでも単位取得には他なりません. 

 

結局のところ, 私は生活習慣の破壊, 社会性の喪失など, 多くの犠牲を払った上で, 単位取得に至りました. それを踏まえると, 早々に見切りをつけて, 撤退を選ぶべきだったのかもしれません. 

 

それでも, 「人生, 撤退さえしなければ, どうにでもなる」のでしょう. 

日記(3/12)

昨日はサークルの例会がありました. 私は京都大学藤子不二雄同好会というサークルに所属しているのですが, 週に一度の例会ではあまり, というよりもほとんど藤子不二雄先生に関連した話題が出ません. およそ五時間余りの例会において, その時間のうちほとんどは他愛のない雑談で占められています. 

 

私としては, 特にこの長期休暇は他者との関わりが極めて希薄になるので, 週に一度, こうした人と話をする機会を持てることは, 非常に貴重なものと言えるでしょう. 

 

とはいえ, 一週間前に映画ドラえもんの最新作が公開を迎えたこともあり, 昨日の例会ではドラえもんに関する話題がいくらか出ました. 

 

事の始まりは, 「日常生活で, どのような場面で感動するか」という話題からでした. 雑談の内容としては, ごく平凡なものです. ここから, 「感動して泣いたドラえもん映画は何か」という話題に, 雑談の内容が飛んだ, というわけです. 

 

私は1980年公開の『のび太の恐竜』以降, ドラえもん映画作品は全て視聴してきました. 映画館で初めて観たドラえもん映画は, 2007年公開の『のび太の新魔界大冒険』です. 

 

私が感動で泣いたドラえもん映画とその場面を, 一度挙げてみました. 

 

・のび太の恐竜2006(2006)/ のび太とピー助の別れ

・のび太の新魔界大冒険(2007)/ 美夜子, 美夜子父と美夜子母の別れ

・のび太と緑の巨人伝(2008)/ のび太とキー坊の別れ

・新・のび太と鉄人兵団(2011)/ のび太とピッポの別れ, しずかとリルルの別れ

・のび太と奇跡の島(2012)/ ダッケがのび太の父と判明する場面

 

こうして挙げてみると分かることとして, 私は「別れ」に対して非常に涙もろいということです. とはいえ, これらの場面は一般論として感動しやすいものです. 気になったのは, 最後の『のび太と奇跡の島』です.

 

この作品は, のび太の父(子ども時代)がタイムマシンで現代に連れてこられて, ドラえもんの道具のせいで記憶を失ったために, ダッケ(名前の由来は, 「(自分の名前は)なん"だっけ"?」から)という名前を持って, のび太たちと冒険を繰り広げる……という内容です. 『奇跡の島』が他作品と一線を画しているのは, 全編を通してのび太の父の存在が強調されている, という点です. 

 

私は, そもそも親子もの, もっと言えば「父と子」を描いた作品に弱いのかもしれません. 

 

別のドラえもん映画の話をしましょう. 『緑の巨人伝』は, 次のような内容で終わります. 

 

キー坊と別れを交わし, 帰宅したのび太とドラえもん. ふたりを出迎えるパパとママ. ママがキー坊の不在について「キー坊ちゃんは?」と尋ねると, のび太は俯いて, 視線を泳がせるばかり. それを見たママがのび太の頭を優しく撫でてやると, のび太はママに抱き着いて, そのまま奥の食堂へと消えてゆく. その一部始終を見ていたパパは, 何かを悟ったのか, ドラえもんに対して両手を広げ, ひとこと, 「いいよ」とだけ言う. ドラえもんもまた, パパに抱き着き, そこで物語は終わる……

 

個人的には, この場面が映画ドラえもんの中で最も「親」というものを丁寧に描き出したと思っています. 

 

ドラえもん映画はその性質上, 一貫して「子どもたちによる冒険」であり続けてきました. 同じく国民的アニメであるクレヨンしんちゃんの映画が, 度々「家族による冒険」を描いてきたことと対比しても, ドラえもん映画では大人による物語への介入がほとんどありません. 

 

親は, 冒険に出た子どもたちを家で待ち続ける存在であって, 既に冒険の舞台からはretireしているのです. だからこそ, 『奇跡の島』でのび太たちと冒険を繰り広げるのは, あくまでも"子ども時代の"のび太の父なのです. 

 

『緑の巨人伝』についてもう一点, 気になった部分があります. それは, のび太のパパとママが, キー坊をいかにして受け入れたか, という点です. 

 

のび太のママは, 大のペットぎらいです. 原作では, のび太が捨て犬や捨て猫を拾ってきて, それをママに隠して飼おうとしますが, やがてバレてこっぴどく叱られる, というのはお決まりの展開です. 

 

そうした中で, ドラえもん映画は, のび太のママが「ヒトでない生き物」をいかにして受け入れたか, もしくは受け入れなかったかという点で分類することができます. 

 

例えば, 『のび太の恐竜』では, のび太はママに隠してピー助を育てようとします. これは元々この作品が原作の短編から派生したものであることを考えれば, 特に疑問の余地はないでしょう. 

 

対して, 多くのドラえもん映画では, のび太のママはペットを, もしくはペットでなくとものび太が連れてきた「ヒトでない生き物」を受け入れてきました. 

 

『のび太の大魔境』ではのび太の拾ってきた捨て犬ペコを(落としたバッグを見つけてくれたという理由付きではありますが)受け入れましたし, 『のび太の宇宙小戦争』では, 宇宙人であるパピくんを受け入れたうえに, 「(小さいから)食費がかからなくて助かる」という旨の発言までしています. 

 

『緑の巨人伝』も, 同様にキー坊をママは受け入れるのですが, 上の二作品と根本的に異なるのは, のび太のママもパパも, キー坊を家族の一員として受け入れている, ということです. 

 

実際, 『大魔境』と『宇宙小戦争』では, 最終的にペコともパピくんともお別れすることになりますが, それに対して, ママとパパが言及する描写はありません. 

 

対して, 『緑の巨人伝』では, 先に書いた通り, のび太のママとパパは, キー坊と別れたのび太を, 親としていかに受け入れるかという部分に描写を割いています. 

 

そもそも, ママがペットぎらいである大元の理由が, 原作ではついに明かされませんでした. しかし, 少なくとも動物が生理的に苦手, というわけではないようです. 

 

さて, 改めてドラえもん映画の最新作『宇宙小戦争2021』が公開されたわけですが, 近いうちに私も観に行くつもりです. 旧作の中でも名作と名高い『宇宙小戦争』のリメイクということで, 新キャラとしてパピくんのお姉さんが登場したりと展開が気になる作品です. 

日記(3/11)

午前中, 9時過ぎごろにスマートフォンの緊急速報が鳴り, そういえば今日は3.11から11年だということに気が付きました. 

 

当時のことは, 今もよく覚えています. 当時小学四年生の私は, 五限目の図画工作の授業で, 図工室にいました. そのとき, 扉を開けて教頭が入ってきて, 

 

「大丈夫でしたか」

 

と尋ねてきました. 私の住んでいた地域は, ほとんど揺れを感じませんでした. そのため, 私は教頭が何に対して「大丈夫」と問うたのか, さっぱり分かりませんでした. 

 

私が事態を知ったのは, 下校して帰宅したとき, 父がテレビを観ていたからでした. その日は県立高校入試の合格発表であり, 私の兄がちょうど受験生だったため, 帰宅したときの第一報は, 兄の入試結果の可否についてだと思っていました. 

 

しかし, テレビ画面に映る惨状を目に, 兄の人生の転機となるべきその日は, もっと重大な日になってしまったのでした. 

 

なお, 兄は無事第一志望の県立高校に合格していました(ところで, 私立高校と公立高校のどちらが第一志望になるか, という点は, 地域性が出るようです. 私の生まれ育った地では, 私立高校は公立高校の滑り止め, という認識でした). 

 

私や私の親族は被災者にはなりませんでしたが, 少し変わった形で, 震災と関わることになりました. 

 

私の父は, 建築士, 測量士です. 父は震災の後, 定期的に家を空け, 東北の被災地を訪れていたようです. 同じようなことが, 熊本地震の際にもありました. 父の測量の仕事には, 私も何度か手伝いに駆り出されました. 

 

どうやら, 父は被災地で測量調査に関わっていたようです. 結局, 父が普段の生活に戻ったときには, 地震の発生からおよそ一年余りが過ぎていました. 

 

父の仕事を見て育った私は, 高校一年までは建築系の学科志望でした. 結局, 自身の興味を優先して理学部に志望を変更しましたが, 父は内心では私に建築の道に進み, そしてゆくゆくは家業を継いでほしいと思っていたらしく, そのことを知ったのは, 私が大学に進学して三度目の正月, 父と初めて酒を飲み交わした夜のことでした. 

 

今さらそんなことを言われて, しかしどうしようもない私と父は, 静かに, ひょっとするとあり得たかもしれない未来を思って, 弱い酒を飲み干しました. 

日記(3/10)

前々日, 『みなみけ』という漫画を全巻まとめ買いして机の上に積み上げたのですが, そのためにタブレットPCを開くスペースがなく, 日記を更新できませんでした. 折に触れて感じるのは, 机の上にものが散乱していることは, それ自身が極めて生活水準を下げうる, ということでしょう. 

 

そして, 三日が経った今もなお, 『みなみけ』を読破できていません. まったく, 恥ずかしい限りです. 今日の日記は『みなみけ』について書いてもよかったのですが, それはまた別の機会にしましょう(このように言うとき, たいてい別の機会はないのですが, それはそれで構いません). 

 

その代わりに, 別の漫画の話をすることにします. それは, 『旅する海とアトリエ』という漫画です. まんがタイムきらら MAX にて連載され, 単行本は全2巻とこじんまりとした作品です. 

 

この作品は, いわゆる「旅もの」の漫画であり, 舞台はイベリア半島からイタリア, ウスタライヒ, クロアチアの地中海の北側に向かう地域です. 主人公はふたりですが, ともに自分のルーツを探すため, また自己を見つめ直すために旅に出ています. また, 2019年の12月に単行本1巻が刊行されており, すなわちそれは, この作品の連載期間がコロナ禍の大きな影響を受けたことを意味します.

 

そんな「旅もの」としては極めて厳しい状況の中で, 少し古い表現にはなりますが, 「旅は道連れ世は情け」を地でゆく作品というのが, 最も簡潔な説明になると思います(と言いつつ, なかなかうまい表現を見つけたなと思って読み返していたら, 作中で「旅は道連れ世は情け」の言葉がそのまま登場していました). 

 

旅先で出会う現地の人間と, まさに道連れになることで親交を深め, そして来るべき別れを惜しむ……人間関係の在り方としては極めて平凡なものかもしれませんが, 長らくそうした生活が失われていた身としてこの作品を読むと, 本当に心に染み入るものです. 

 

以前, 日記で同じくきらら作品であるところの『スローループ』について書いたとき, これはきららの王道に乗った作品だと評しました. 

 

対して『旅する海とアトリエ』は, あまりきらららしくないなと感じました. それは, きららが一貫して描いてきた, 「日常」とは距離を置いたところにあるからかもしれません. 

 

旅は, いつか終わります. その意味で, 「日常」とはむしろ対極にあると言ってもよいかもしれません. 

 

とはいえ, きらら作品としてのツボはある程度押さえているようにも思います. 年頃の女子が作品の中心にいること, コメディとしての側面を持つこと, キャラクターがデフォルメ化されること……等々, 挙げればきりがありません. 

 

あまり作品を人に薦めることがないのですが, この『旅する海とアトリエ』は, ぜひ読んで欲しい作品です.