誠実な生活

実家の隣に葬儀屋がある

日記(2/17)

唐突ですが, 『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』という漫画の話をさせてください. 

 

『わたモテ』と略されるこの作品に私が出会ったのは, 地元のTSUTAYAにある, 漫画レンタルコーナーでした. このとき, 私はまだ小学六年生でした. 

 

毎週金曜日の夜, 当時通っていたピアノ教室でのレッスンの帰りに, 送迎を任されていた父は週末に観るためのDVDを借りにTSUTAYAに寄って, 私に二本まで借りることを許してくれました. 

 

私がよく借りたDVDは, ドラえもん, クレヨンしんちゃん, あたしンちの三作品のローテーションでした. 他にも, 『凪のあすから』などの, いわゆる深夜アニメと出会ったのも, TSUTAYAのDVDレンタルコーナーでした. 

 

私は, TSUTAYAのレンタルコーナーの棚が, ビデオテープからDVDに移り変わってゆく過程を, この目で眺めてきました. 

 

最初にTSUTAYAの棚にDVDを見たのは, わさドラ映画の第二作目, 『のび太の新魔界大冒険』でした. 当時, 私の家にはビデオデッキしかなく, 父のノートパソコンでDVDを観ていました. ジュース片手にDVDを観ていたら, キーボードの上にジュースをこぼしてノートパソコンを壊してしまい, こっぴどく叱られたのも今となっては懐かしい思い出です. 

 

あの頃, 私は毎週欠かさずTSUTAYAに通っていたにも関わらず, しかしTSUTAYAの棚にビデオテープとDVDがちょうど半々ずつ並んでいる景色がほとんど記憶にありません. それほどに, ビデオテープからDVDへの移行は極めて速やかに完了してしまいました. 

 

日本中のTSUTAYAの棚に所せましと並んでいた大量のビデオテープは, DVDに瞬く間に居場所を奪われて, いったいどこに消えてしまったのでしょう?そして, 後のDVDからBlu-rayへの移行が, "そう"はならなかったのは, どうしてでしょう?

 

そして, TSUTAYAからビデオテープが消えて久しいある日, 近所のTSUTAYAがリニューアルし, 新たに漫画レンタルコーナーが設置されました. 

 

漫画は買うもの, という意識があった私にとって, 漫画もDVDと同じようにレンタルしてよいという事実に, 幼いながらに不思議な感動を覚えたものです. 

 

その一角で, 私は『わたモテ』に出会いました. このとき, まだ棚に単行本は二巻までしかありませんでした. 

 

立ち読みしたとき, 私は衝撃を覚えました. ここまで惨めで, 読んでいるこちらまで羞恥に悶えるような主人公が作品の漫画があっていいのかと思いました. 高校でぼっちになってしまった主人公は, 休み時間は寝たふり, 便所飯, しかも机の上にスマホを録音モードのまま置いていき, 自分がいないときにクラスメイトが自分の悪口を言っていないか確認する……

 

年下のいとこに見栄を張った結果, 公衆の面前でとんでもない醜態を晒し, しかもそれをいとこ本人に目撃される……

 

たまに気分がいいとスキップしながら登校すると, 路地裏で朝食の中身を吐き出す始末……

 

あまりに救いのない恐ろしい内容に, 私は思わず吐き気と頭痛を覚えました. 

 

それまで私が読んでいた漫画は, もっと素直な作品ばかりでした. それこそ, ドラえもんのような古典であったり, 『スーパーマリオくん』のような下品なギャグ漫画が大好物であった当時の私には, 全く理解の範疇を超えた作品だったのです. 

 

私は, この理解の外にある作品を, どうにか理解してみたいという衝動に駆られました. 今思えば, 一種の怖いもの見たさに似ていた気がします. そして, 私は棚にあった単行本二冊を抱えて, レジの前で待っている父のもとへ駆けて行ったのです. 

 

『わたモテ』に感じた狂気を, 私はゆっくりと自分の中に取り込んでゆきました. この作品を読んでいると, 胸が締め付けられ, 呼吸が苦しくなりました. それでも, 私は読み続けました. 

 

今では『わたモテ』という作品は, 漫画読みの中ではある程度の知名度と市民権を得たと思います. それは, この作品が中盤で迎えた作風の転換によるものだと私は考えています. 

 

すなわち, 主人公のあまりの惨めさに自己を重ねつつ, もしくは共感性羞恥を覚えつつ, ある種自傷行為的に読み続けていた私にとって, この作品の転換は大きな衝撃を与えました. 

 

主人公は, 作中で修学旅行に行き, これをきっかけに, それまでの惨めな生活に転機が訪れます. 友人ができ, クラスでの立ち位置も, 少しずつよい方向に変化していったのです. 

 

最新話では, もはやかつての見るに堪えない姿は面影もありません. 

 

この転換に対して, 私はしかし, 大きな裏切りを受けた気分になりました. 

 

それは, 作風を転換した作者にではなく, 『わたモテ』の主人公に対してのものでした. 

 

ずっと変わらないと思っていた主人公が, 突然友人を獲得して, クラスでの居場所を得て, 少しずつ社会に適合してゆくのを見るにつけて, 私はひどい背信行為を受けたと感じました. 

 

まるで私だけが惨めで見るに堪えない姿のまま, しかし『わたモテ』の主人公は, ある日突然に私を置き去りにして, 惨めであることから脱してしまったのです. 

 

 

 

あるとき友人が, 折に触れて『わたモテ』の話題を振ってきたので, 私は全てを話しました. 

 

「どうして私は, 主人公の成長を素直に喜ぶことができなかったのだろう?」

 

「世間の評価では, むしろ初期の惨めな姿は好きではないが, 修学旅行以降の群像劇的な雰囲気は好きだという声の方が大きいようだけれど, 君はまったく逆なんだね」

 

「これは逆張りではないよ」

 

私は口をはさみました. 

 

「分かっているよ」

 

「どうして『わたモテ』の主人公は救われたのに, 私は救われなかったのだろうね」

 

「……君が高校一年のときだったか……あのクラスは, 君には本当に居心地の悪いものだっただろうね」

 

私は高校一年のとき, 初期の『わたモテ』の主人公ほどではありませんが, クラスで居場所を見つけることができずに, ひとり苦しんでいました. そしてそれは, クラスが変わり二年生になっても改善するどころか, ますます悪化しました. 

 

「一年の頃は, 同じ部活の友人がいたし, もうひとり, 中学からの友人がいたからね. 最悪, どちらかにコバンザメのようについてゆけばよかった. しかし, 二年のクラス分けを見たときは, 本当に不登校の三文字が頭をよぎったよ」

 

「君は見事に, 部活の友人とも一年のときの数少ない友人とも, 同じクラスにならなかったね」

 

「そのときも, 『わたモテ』の主人公は友人に囲まれて, さらにはクラスの中心人物にまで出世していって……あのときはとても苦しかった」

 

「しかし君, 三年のクラスでは, ようやく友人に恵まれたと外から見て思っていたが, 実際のところはどうなんだい」

 

そう, 三年の来たるクラス分けで, 私は中学時代の友人数人と, 部活の友人も数人という, 極めて幸運なクラスメイトに恵まれました. 

 

「うん. あのとき, 私はようやく私の『わたモテ』初期も終わると思った. 高校三年生の一年間は, 本当によい環境だったよ. しかし, 今でも分からないことがある」

 

「というと?」

 

「私はあのとき, あまりにも恵まれ過ぎていた. 自分で言うのもうぬぼれかもしれないが, 高校三年生のクラスで, 私は特に男子の間ではかなり中心に近い位置にいたと思うんだ」

 

「一, 二年の頃の運のなさを帳消しにするために, 三年生でそれまでの運が回ってきたんじゃないか. 私は君がようやく楽しい学校生活を送れるようになったと聞いて, 当時, 本当に嬉しかったんだよ」

 

「思い返せば, しかしあれは分不相応だったね. 私の人生で, 最も輝いていた瞬間かもしれない. 結局, 卒業してからほとんどのクラスメイトとは連絡が途絶えてしまったものね」

 

「あのクラスでは, 浪人した者も多かったし, ある程度は仕方ないよ」

 

「……そうかもしれないね」

 

中学からの同級生で高校三年生で同じクラスになった友人Aも, 浪人したことだけは知っていますが, その後どこの大学に進学したのかさえ私は知りませんでした. 

 

「『わたモテ』は今後, どういう展開になるのだろうね?」

 

この作品に出会った当時, まだ主人公より四学年も下だった私たちも, この春の進級で逆に四学年上になってしまいます. 

 

「ちょうど最新話でクリスマス会をやっていたから, もうすぐ大学受験だね」

 

「主人公は第一志望の大学に受かると思うかい?」

 

「どうだろうね. あの作品が主人公に救いを与えているのだとすれば, わりとすんなり受かってしまうんじゃないかな」

 

「もう, 私たちの受験からは三年が経ってしまったね」

 

「受験直前の, 毎日特講を受けるために学校に来て, ストーブを囲んで弁当を食べたあの時間が, 思えばいちばん楽しかったね」

 

「君もそう思うか」

 

「もう二度と戻って来ない時間だけれどね」

 

私も友人も, 大学に受かってからこの三年間をどう生きてきたか……そんなどうにもならないことを考えていました. 

 

「……君と同じ大学に受かって, 本当によかった」

 

「……その言葉は, 三年前に聞きたかったよ」

 

それ以上, 私と友人は言葉を交わそうとしませんでした.