誠実な生活

実家の隣に葬儀屋がある

日記(3/15)

期せずして某回転ずしチェーンのクーポンを手に入れたので, 例の友人を誘って食べに行きました. と言っても, 私と友人の下宿から最寄りの店までは, 自転車で30分近くを漕がないといけなかったのですが, 半額クーポンを前にして, 私たちは頭を下げるほかありませんでした. 

 

私は, 少なくとも大学入学のために京都に移り住んで以来, 回転ずしというものを一度も食べたことがありませんでした. 私にとって, 回転ずしとは休日に家族に食べに行くものであって, ひとりで行く場所ではなかったのです. 

 

私を回転ずしに連れて行くのが, 父親だったか, もしくは母親だったかによって, その傾向は大きく異なりました. 健康志向の母は, いわゆる100円すしに連れてゆくのを避けて, 回転ずしの中でもなるべく値段の張る店に私を連れてゆきました. それでも, 最も値段の低い皿で130円ほど, 最も値段の高い皿では1500円程度の, あくまで庶民が手に届く範囲のものでしたが. 実際, 例えば私と姉と母の3人で食べに行ったとしても, その会計はせいぜい4000~5000円ほどだったと記憶しています. 

 

対して父親は, 子どもに食べさせるものは健康的でなければならない, とはあまり考えていなかったようです. 父は私を100円すしに連れてゆきました. 私は舌が肥えているわけではありませんでしたし, それで不満を覚えることもありませんでした. 

 

さて, 話を戻して, 友人とテーブル席に座り, 私は流れている皿を一枚取りました. 友人は私よりも回転ずしに慣れているようで, 流れている皿は取らずに, すぐにタッチパネルを操作し始めました. 

 

思えば, かつて回転ずしで初めてタッチパネルでの注文方式を目の当たりにしたとき, ついに人類もここまで来たのかと, その近未来的なシステムに感動を覚えたものです. 今の子どもたち, つまり生まれた頃からスマホやインターネットが間近にあるような暮らしをしてきた者にとっては, これはさして感動を覚えるものではないのでしょうか. 

 

「子供の頃, 母に連れられて行った回転ずし店は, 注文をタッチパネルで行っていたのだけれど, そのパネルがipadだったんだ」

 

「ああ, あまり規模の大きくない店なら, そういうところもあるだろうね」

 

「それを見て, 私はよくホームボタンを押して遊んだものだよ」

 

「私もよくそういう小さないたずらをした. あれは, 店側が意図しない操作をするのが楽しいのかしら」

 

「うむ. おおむね, そんなところだろうね」

 

確か私が連れていかれた店では, ホームボタンの上にシールが貼られていたのですが, とはいえシールの上からホームボタンが簡単に押せるものでした. 

 

「そうだ, 意図しない操作で思い出したんだがね. うちの下宿のエレベータだけど, その操作パネルが新しくなったんだ. 階数を表示するモニターがランプ式から液晶パネルに変わってね」

 

「それは楽しいね」

 

「それはいいのだけれど, 大きな欠陥を見つけたんだよ」

 

「ほう」

 

「それがね, エレベータが動いているときに『開く』ボタンを押すと, 動いているにも関わらず扉が開いて, その直後にけたたましい警報音が鳴ってエレベータが緊急停止するんだ」

 

「それは恐ろしい仕様だね」

 

「うん. 普通は, エレベータが動いているときに『開く』ボタンを押しても, 反応しないように作るものだろう?だから, この欠陥を見つけたときは, 本当に驚いたよ」

 

「ところで, 君はどうしてエレベータが動いている最中に『開く』ボタンを押すなんて, 意図しない操作を行ったんだい?」

 

友人は私をなじりました. 

 

「いや……エレベータに乗っているときに, なんとなく他の階のボタンを押して遊んだりするくらい, 人間なら誰でもやるだろう. ジュースにストローを突っ込んで, 息を吹きかけてぶくぶくするようなものだよ」

 

「少しからかっただけだよ」

 

友人は笑いながら, マヨコーンの軍艦を口に運びました. 

 

「それ, 『マヨコーンが真横ーん』ってTwitterに投稿したりはしないのかい」

 

「そのネタ, 正直こすられすぎて面白みに欠けると思うんだ」

 

「そうかしら. 湯飲みの注ぎ口の写真と一緒に, 『ここは何をするところですか?』とツイートする文化は, 今でも目にするけれど」

 

「私は, そのツイートも冷ややかな目で見ているよ」

 

「様式美といった感じで, 私はきらいではないけどね」

 

「それで, エレベータの件に戻るけれど, 君はあれだろう. 『設計はユーザーによる意図しない操作も想定すべき』と言いたいんだろう?」

 

「そうだね. 特にエレベータで移動中に扉が開くなんて, 重大事故につながりかねないからね」

 

「その欠陥は, 大家や管理会社には報告したのかい?」

 

「いや, まだしていないし, するつもりもないよ」

 

「それはどうして?」

 

「わざわざ報告して, 『どうしてそんな意図しない操作をしたんですか』と問われたくはないからね」

 

「責められているように感じる?」

 

「少しだけね. それに, 一応扉が少しだけ開いてすぐに緊急停止するから, 重大事故にはならないよ」

 

「それで, 万が一事故が……取り返しのつかない結果になったら?」

 

私は, 手に持っているえんがわの握りを皿に置きました. 

 

「……どうしようかしら. 『実は私は, ずっと前から危険性を認識していたんです』とでも言えばいいのかい?」

 

友人は湯飲みをほんの少し口につけて, すぐに机に置きました. 

 

「……世の中には, バグを報告すると怒られるような環境があるらしいね. 曰く, 『言わなければ分からなかったのに, 余計な仕事を増やした』と」

 

「なんだか, それは『寝た子を起こすな』論みたいだね」

 

「……まったく, ひどい話だよ」

 

私は, 改めてえんがわの握りを口に運びました. 

 

「もし君がエレベータのことを報告しないと言うなら, 私が気付いたものとして報告しても構わないが」

 

「君にそこまでさせるわけにはいかないよ」

 

「しかし……」

 

「君は, 昔から不正義を正してきたものね. だから, この問題を放置しておけないのは分かるよ. でも……」

 

空になった皿を投入口に入れると, それはするりと流れていきました. 

 

「信じたくないことだけれど, 『言わなかったからなかったことになった』もので, 世の中は回っているのかもしれないね」

 

「……」

 

「……少し, 昔ばなしをしようか」

 

友人は何も言いませんでしたが, 私は構わず続けました. 

 

「小学四年生だったか五年生だったか……中学は別になってしまったSくんのアパートの裏で, しわしわになったエロ本の山を見つけたことがあったろう. 覚えているかい. まるで漫画みたいな話だが, 実際に私たちはこの目で見た」

 

「そんなこともあったね. あれは大騒ぎだった」

 

「ちょうど, 思春期にさしかかって, 異性を意識し始める齢だったからね. 自宅にインターネット環境のある子も少なかったし, 本当に衝撃的だったよ」

 

「結局, あれを見つけた後はどう処理したのだったか……」

 

「……そう, そこが問題なんだ. 君が知っていることは次の通りだ. 翌日, 好奇心から私とSくんと君の3人は, 再びエロ本の山を見に行った. しかし, 既にそれは消えていた. それだけだ」

 

「そうだ. 消えていたから, 私たちはすぐに興味を失って, それっきり……」

 

「小学四年生か五年生なら, 今からちょうど10年前くらいか. そう……この10年間, 消えたエロ本の所在は, 誰の口からも語られなかった. そして, 『言わなかったからなかったことになった』んだね. 全て……あの日起こったことも……何もかも, なかったことに……」

 

「君は, 私の知らないことを知っているのか」

 

「私はこの10年間, いや, そしてこれからもだが, 真実は全て墓場まで持ってゆくつもりだった. しかし, つい最近になって事情が変わった」

 

「事情?」

 

「去年の夏に帰省したとき, Sくんの近況が耳に入ってきたんだ」

 

「そういえば, Sくんとは小学校を卒業してから会っていないね」

 

「彼, 失踪したらしい」

 

「失踪……?それは, いつからだ」

 

「去年の夏の時点で, もうすぐ一年になるといっていた」

 

「……そう, か……失踪……」

 

友人は一瞬取り乱したように見えましたが, すぐに落ち着きを取り戻しました. 実際, 私の小中時代の同級生の中には, 失踪した者はひとりやふたりではありませんでした. 

 

「私が思うに, Sくんはあの日, エロ本の山を見つけるべきではなかった」

 

「……まるで, エロ本の山によって, Sくんが狂ってしまったみたいな言い方じゃないか」

 

「どうだろう……もしかすると, そうかもしれないね」

 

この先のやり取りについては, 公然とブログに書き込めるものではありません. よって, この話はここで筆を置くことにします. 

 

それにつけても, 何が人生を破滅に導くか, 分からないものです. もしかすると, 私と友人の出会いもまた……