誠実な生活

実家の隣に葬儀屋がある

日記(3/5)

昨日はサークルの例会に参加して, 深夜二時頃まで雑談に興じていました. 思い返すと, 例会での雑談に, 昔話の割合が増えたと感じるようになりました. 

 

例えば, 幼少期に遊んだゲームの話, 小中時代の学校給食の話, 出身高校の大学進学実績の話など, どういった文脈でこれらの話題に発展したのかは覚えていませんが, 週に一度の例会で, ほとんど必ずと言ってよいほど, こうした過去の話が交わされるようになりました. 

 

昔話と言えば, ひとつ思い出したことがあります. それは, 私が幼少期のころの携帯電話の普及率についてです.

 

今でこそ, キッズスマホなんてものが販売されるくらいには, スマートフォンは大人だけの持ち物ではなくなっていますが, 私が小学生の頃は, 携帯電話と言えば, いわゆる折りたたみ式のガラケーで, 大人でさえもスマホを持っている人は一握りでした. いわんや小学生がスマホを持つような時代ではなく, 携帯電話を持っている子も, 少なくとも私の周囲にはひとりもいませんでした. 

 

友達と連絡を取るには, 固定電話で友達の家にかけるのが普通で, それを面倒と思ったこともありませんでした. 

 

私が初めてスマートフォンを手にしたのは, 高校の合格発表の翌日でした. 同級生らも, 中学時代に既に携帯電話を持っていた子はちらほらいましたが, それでも大多数は, 高校入学を機に買い与えられていたようです. 

 

先日の日記で, 中学時代に初めて小説を書いた話をしました. その作品は, 高校生が主人公だったのですが, 当時中学生だった私は, 高校生活というものを完全に想像で書いていました. そのため, 今になって読み返すと, 高校の校舎やそこでの生活について, 無知を露呈してしまった描写が数多く見られました. 

 

そうした無知の中でも, のちに読み返して気が付いたこととして, この作品に登場するすべてのキャラクターは, 誰も携帯電話を所有していなかったのです. 

 

当時, 携帯電話を持っていなかった私は, そのおかしさに気が付くこともできませんでした. 

 

現在の視点から, 当時の私を「想像力が足りなかった」と言い切ってしまうのは, あまりにも簡単です. それでも私は, かつて試行錯誤しながらひとつの作品を描き上げた自分自身に, 今では必要不可欠な携帯電話の存在が見出されなかったことに……小さな感動を覚えていたのも確かです. 

日記(3/3)

京都の街は, 特に賀茂川 \deltaより北側は暮らしやすく, 落ち着いており, 同時に刺激の少ないところです. 少なくとも, 学生としての時間を過ごすには, やや単調に過ぎることは確かでしょう. 

 

今日は, 今週末に購入する本の選定のため, 近所の書店に行きました. 今週は普段読んでいる漫画の続刊がほとんどなく, 新しい作品を開拓すべく, 漫画の棚と小説の棚を交互に行き来しつつ, 気が付けば一時間以上の時間が経っていました. 

 

愛読していた漫画が完結するというのは, やはり寂しいものです. 今日も, 半年ほど前から購読している作品が完結すると知り, 既刊をじっくりと読み直していました. 

 

今回完結する漫画は, 高校生の男女のラブコメものという, きわめてありふれたジャンルの作品でした. この手の作品は競合が多いためか, 平均してコミックスで3巻ほどで完結することが多い気がします. この作品は現在3巻までコミックスが刊行しているので, おそらく4巻を以て完結, ということになるでしょう. 

 

高校生の男女のラブコメものについては, 私はこれまでの多くの苦い別れを経験してきました. 

 

ブコメものが完結するとき, それは何らかの形で登場人物を巡る恋愛にひとつの区切りがつくことを意味します. 三角関係ものであれば, 成就する恋愛と悲しくも敗れる恋愛があるでしょう. 

 

その中でも, 最も多い完結の形は, それまで恋愛関係になかったふたりの登場人物が結ばれる, ハッピーエンドのものです. それまでくっつきそうでなかなかくっつかない, もどかしくも愛らしい恋愛模様を目の当たりにしてきた読者の目線としては, このハッピーエンドは喜ばしいものです. それは疑いようがありません. 

 

しかし, 私はそうしたハッピーエンドの中に, 極めて悲劇的なものを見出さないわけにはいきませんでした. 

 

それは, 『最近の高校生のラブコメ漫画, おせっせendが多すぎる』問題です. 

 

ブコメ漫画という場合, 基本的には全年齢の作品を指すことが多いと思います. そのため, こうした作品の中で, 直接的に性行為が描かれることはほとんどありません(もちろん, 例外もあります). 

 

しかし, こと最近のラブコメ漫画に対して問題提起せざるを得ないのは, 直接的であれ, もしくは本質的な部分を隠した形であれ, 高校生という立場にありながらおせっせendで締める作品を, 私は受け入れるのに強い抵抗がある, ということです. 

 

私は, 「えっちなのはいけません」などと言うつもりはありません. 問題は, 高校生でありながら, そうした行為に及ぶことを作品の完結に持ってくるという点です. 

 

『おせっせ』というあまりに生々しい行為を, 恋愛成就の象徴として描くことに, 私は不誠実さを感じてしまいました. 高校生の, もっと言えば思春期の恋愛は, もっと肉体的な行為からは離れた場所にいるのではなかったのでしょうか……

 

私の考え方は, 前時代的なものなのでしょうか? 今の高校生は, 昨今のラブコメ漫画で描かれるような生々しく, 肉体的な接触を伴う恋愛のあり方を, すっかり受け入れてしまっているのでしょうか?

 

既に高校卒業から三年が経ってしまった私には, もう今の高校生の恋愛の実態を知るすべはありません. 

 

そして今回, 完結を知ったラブコメ漫画についてですが, 私はまたおせっせendを見るかもしれないと思うと恐ろしく, 覚悟を決めてその最終回を読みました. 

 

結果を言うと, 今回は主人公とヒロインが両想いとなり, その後ヒロインが主人公の頬に軽くキスをして, そのまま物語は終わりました. 

 

あまりのあっけなさに, しかし本来はかくあるべし高校生の純朴な恋愛のあり方に……私は思わず膝から崩れ落ち, ぼろぼろと大粒の涙をこぼしていたのです. 

日記(3/2)

Twitterエゴサ―チをすると, 時たま私がpixivに投稿したssの感想をツイートしてくれている方がいて, そのたびに私は, 別に感想が欲しくてssを書いているわけではないけれど, とてもしあわせな気持になれるのです. 

 

私が初めて小説というものを書いたのは, 中学二年のときでした. 当時, クラスのおたくくんたちの間では, ライトノベルが流行っていました. もちろん, まだなろう系という概念もなく, ラノベと言えば電撃文庫の一強, 続いてファミ通文庫小学館ガガガ文庫, MF文庫Jなどが有名どころでした. 

 

私が初めて読んだライトノベルは, 『バカとテストと召喚獣』でした. 昔からギャグ漫画が好きだった私にとって, この作品は, 漫画だけがギャグを表現できるわけではないということを思い知るに至った, とても重要な作品です. まさに, 抱腹絶倒のギャグ小説と呼ぶべきものでした. 

 

その後, 私はライトノベルにのめり込みました. 私が好んで読んでいたジャンルは, 学園ラブコメものが多かったような気がします. その中でも, 私の中で転機となったのが, 『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』という作品です. あの本を中学に持って行って, 休み時間になると机の中から取り出して, 貪るように読みふけっていたのですが, 今にして思えば, ずいぶんと挑戦的な作品を選んだものです. 

 

このとき, 私は自分でもこんな作品を書いてみたいと思いました. それが, 全ての始まりだったのです. 

 

当時の私は自分用のPCを持っておらず, 家族で共用のノートPCを使うほかありませんでした. 親に見られないよう, ダミーのフォルダを大量に作って, 『数学教材』とか『社会科資料』とか, 勉強用に見せかけた名前を付けて, その中にwordファイルを作りました. 

 

最初は, 小説とはどうやって書き始めればよいのか, 皆目見当もつきませんでした. それでも, いくつかのライトノベルを読んで, それを真似る形で書き始めた処女作は, およそ一年ののちにひとまずの完成を見ました. このとき, 私は進級して中学三年生になっていました. 

 

文庫本一冊ぶんほどの私の処女作……その内容は, 先に書いた『俺の妹~』を強烈に意識した, 兄妹のラブコメものでした. 今ではUSBメモリに移したそれを見返してみると, よくもまあこれだけご都合主義で妄想全開の, 声に出すのも恥ずかしい話を書けたものだなと苦笑いするほかないのですが, それでも, 人生で初めて, 自分が物語の紡ぎ手となったことへの高揚が, ひしひしと伝わってくるのです. 

 

しかし, 私は完成したそれをどうするのかについて, 全く考えていませんでした. 当時はライトノベル大賞の存在こそ知っていましたが, まさか中学生でも応募できるとは思っておらず, インターネットに小説を公開する場があることも知りませんでした. 

 

結局, 私はそれをまずは閉鎖的な場で発表することにしました. 

 

当時, 私は信用のできる, すなわち私の稚拙で妄想丸出しの話を読んでも茶化さずに批評してくれる, 何人かの友人にそれを見せました. 

 

結果を言えば, 私の小説を読んだ友人は, 面白いという感想をくれました. もしつまらないとでも言われたら, 私はその時点で小説を書くことをやめていたかもしれません. それだけに, このときの友人には, 感謝してもしきれません. 

 

それから, およそ七年の月日が過ぎました. その間に, 私は地方の小さな文学賞に出した作品が入賞して賞金を得たり, 小説投稿サイトに作品を投稿してみたり, 二次創作に手を出してみたり……今日まで小説を書くことを続けてきました. 

 

最近では, Twitter上で一年間にわたり小説のような何かを連載するなどしましたが, そうした中でひとつの疑問と向き合わなければならないなと思い始めました. 

 

すなわち, 私は何のために小説を, もっと広く言えば文章を書き起こして, そしてどうなりたいのでしょうか?

 

これまで私は, 自分の中でくすぶる欲望や妄想を文章に起こして, 体裁を整えて物語として組み立てて, それを狭いコミュニティの中で発表して……それで, ちょっとでも褒めてもらえれば, それで心満たされていました. 

 

でも, それだけではない気がして, 私はずっと考えを巡らせていました. 

 

私は, 私の存在をこの世に残してから死にたいのかもしれないし, もしくは私の人生に何かしらの価値を見出したいのかもしれません. 

 

家族には, かつて文学賞で入賞して賞状を持ち帰ったときに, 将来は作家になりたいのかと尋ねられました. 作家という職業, そうでなくとも文章を書いて生計を立てる生活には, 少なからぬ憧れがあります. しかし, 一生涯に渡って, 生活に足るだけの創造的な文章を生み出せるかと問われると, 私には自信がありません. 

 

その上で, 私は現実的な進路を常にそばに用意してきました. その途中で文章で生計を立てる道が見つかれば, そちらに進むかもしれません. そうでなければ, 文章を書くことは, 私のささやかな趣味として終わるかもしれません. 

 

とりあえず, 春休み残り一ヶ月の間に, ひとつ答えを出せるような作品を作り上げることができればよいのですが……

日記(3/1)

昨夜, 陽が沈んだあたりから私と友人は, 私の部屋のテレビで, アニメの上映会を行いました. ラインナップは, この日記でも度々話題に出している『スローループ』, そして四月から第二期が放送される『虹ヶ咲学園』の第一期, さらにもう一作, 三日後に公開を控えたドラえもん映画最新作, 『宇宙小戦争2021』に備える形で, 旧作の『宇宙小戦争』の三作品です. 

 

『スローループ』に関しては, 以前も日記で取り上げたので, ここに改めて詳細を語ることはしませんが, とてもよい作品です. 

 

ちょうど日付が変わったあたりで『スローループ』最新話まで視聴を終えた私たちは, 余韻に浸る間もなく『虹ヶ咲学園』の視聴を始めました. 

 

この作品に, 宮下愛という女がいます. とても恐ろしい女です. 私はpixivに彼女を主題に据えた作品を投稿することで, 彼女を理解しようと試み, そして改めて彼女の恐ろしさを再確認する, ということを繰り返してきました. 

 

彼女のメイン回である第四話が始まりました. 

 

「改めて, ずいぶんといかした女だね. この宮下愛という女は」

 

「まさに, 太陽のような女だよ」

 

彼女は, 作品全体を通して, 一貫して陽気で, 感情的で, 優秀で, 友人想いで, そしてなにより, 誠実であり続けました. おおよそ, (アニメ一期の段階では)弱点というものが見つからない, いわゆる万能キャラといってよいでしょう. 

 

四話が終わったところで, 私たちは休憩をはさみました. 

 

「こうしてアニメを見返してみると, しかし君が二次創作の中で描く宮下愛は, 公式とは毛色がずいぶん違うように見える」

 

自身のスマホで私のpixivアカウントを見ながら, 彼は指摘しました. 

 

この点について, 私は思うところがありました. 

 

「先日, 大阪でライブが開催されただろう. 私は参加できなかったけれど, 配信で視聴したんだ」

 

「ああ. この情勢で, 特に大きなトラブルもなく開催できて, 本当によかったね」

 

「そこで, 宮下愛という女について, 考え直さなければならないと思ったんだ」

 

私が二次創作の中で描く宮下愛は, 陰気で, 冷静で, 優秀で, 友人想いではあるけれど, なにより不誠実でした. 

 

「これから先, 私が語ることは全て私の解釈であることを宣言しておくよ. さもなくば, 君がこの先作品に触れる上で変に理解をゆがめてしまう可能性がある」

 

「分かった. それじゃあ, 話してくれないか?」

 

「うむ……まず, 宮下愛という女についてだがね, あれは表には出さないけれど, 心の内奥に本質的なものが潜んでいると思っていた」

 

「ほう. して, それはなんだい」

 

「私が考えるに……彼女の本質は, 執着しないことではないか?」

 

「執着?」

 

「つまり, 彼女は作中で常に天才型の人間として描かれてきた. スポーツ万能, 成績優秀……作中でもいちばんの天才キャラと言って間違いないだろうね」

 

「確かに, それは同意するよ. しかし執着とは, 宮下愛というキャラとあまりパッとは繋がらない気がするけれど……」

 

「彼女は天才型だからこそ, 何でも簡単に手に入れられるからこそ, 自分の居場所や友人関係に, 執着しなかった. そうは考えられないかな……」

 

友人はしばらく表情をゆがめながらうんうんと唸ったあと, ようやく口を開きました. 

 

「……それは, 公式が展開している全てのコンテンツを総合して導いたことか?」

 

「いや, これはアニメだけを考察対象とした私の解釈だよ. なにせ, 展開している媒体, すなわちアニメ, コミカライズ, ソシャゲ, ノベライズ, ボイスドラマと, 全てを参照すると設定が微妙にぶれてしまうから, 今はアニメだけを考えている」

 

「とすると, なおさら宮下愛という女に執着のなさを見出すのは, いささか無理があるのではないか」

 

「そうだね……これは一種の信仰なのかもしれない. おそらくだが, この解釈には多分に私の願望が含まれている」

 

「宮下愛に執着のなさを求めるのは, 君の願望なのか?」

 

「分からないけれど, 少なくとも天才は得てして興味のない事柄にはとことん無関心で, それはすなわち執着心が弱いということで, それゆえに孤独だね?私は, 天才としての宮下愛に, そうした側面を持っていて欲しいのかもしれない」

 

私の二次創作の中で, 宮下愛は自分が自分の居場所に執着しないことを知っていましたし, その居場所が, 他の人間にとってはかけがえのない大切なものであることも理解していました. その意味で, 彼女は不誠実であり続けたのです. 

 

「それで, 『考え直さなければならない』ことというのは, いったいなんだい」

 

友人が本題を切り出しました. 

 

「宮下愛は, まさに太陽のような女だと, さっき言ったね」

 

「ああ, 太陽のように明るく, 皆を照らす存在, ということだね」

 

「月並みな表現だが, 光あるところに影もまたあり……それが宮下愛だと思っていた」

 

「それは違うと?」

 

「宮下愛は, 太陽としてはあまりに明るすぎたのかもしれない. そう, 影なんてできないほどの, まばゆい光を放つ太陽……」

 

「……それが宮下愛, と」

 

「宮下愛という女に, 影などなかったのかもしれないね」

 

私は床の上に手をかざしました. そこには, 当然ながら, 私の手の影ができました. 

 

「散乱光のおかげで, この影は必ずしも真っ暗闇にはならない. 宮下愛という太陽の光も, もしくは……」

 

私は, その先を言葉にしようとは思いませんでした. 

 

「宮下愛という女は, 私の手に負えるものではなかったのだろうね. だから, ここで終わりにしようと思う」

 

「終わりにする?」

 

「私は二次創作者の立場から降りる, ということだよ」

 

予想外だったのか, 友人は一瞬固まりました. 

 

「……それは, もう覆らないのか」

 

「……未だ, 道半ばではあるけれどね」

 

友人は何か言いたそうに, 何度か口を開いて私の顔を見上げたけれど, 結局彼は深いため息を吐くばかりでした. 

 

「ああ, 宮下愛のおたくをやめるつもりはないよ. 四月からのアニメ第二期もあるわけだし, また一緒に観ようじゃないか」

 

「君の書く宮下愛は, もう読むことができないのだね」

 

「ちょうど, 一次創作の方にも向き合わないといけないと思っていたところだから, ちょうどよかったよ」

 

私はリモコンの再生ボタンを押して, アニメの視聴を再開しました. 

 

「君は, 本当にそう思っているのか」

 

友人はテレビ画面の前に立ちふさがり, 私をじっと見つめました. 

 

「……本当にそうなら, どれだけよかっただろうね」

 

しばらく沈黙ののち, 友人は私の隣に腰を下ろしました. 

 

「……まったく, 難儀な人生だよ」

 

そう吐き捨てる友人の傍らで, 私は自身の頬を伝う熱い感覚が, いったいどういう感情によってもたらされたのか……しばらくの間, アニメの内容そっちのけで考え続けていました. 

日記(2/28)

ついに, 二月も最終日となってしまいました. お昼前に, 友人が私の下宿を訪ねてきました. 

 

「それで, 今日は何か用件があって?」

 

「今日は春休みの折り返しじゃないか. 春休み前半の総括をしたいと思ってね」

 

「ふむ……」

 

私と友人は, この一か月間の暮らしぶりを互いに報告し合いました. 

 

「大学院入試に向けた対策は進んでいるかい」

 

「とりあえず, 学部の総復習として, 電磁気, 量子力学, 統計力学の標準的な教科書を読み進めたわけだが……」

 

この一か月間で, 私は田崎統計力学の第一巻と第二巻を読み終え, 加えて量子力学の教科書を半分ほど, 電磁気学の教科書を五分の一ほど, また寄り道として, 物理数学, 特に特殊関数の教科書を読み進めました. 

 

個人的には, 統計力学がここまで進むとは思っていなかったので嬉しい誤算でしたが, 逆に電磁気学については思うように進捗を産みだせませんでした. この点は, 三月で盛り返すほかないでしょう. 

 

「思えば, 大学院入試まで, 残すところちょうど半年といったところか」

 

「院試の結果に関わらず, 学部の生活も残り一年になってしまったね」

 

「君とばかり一緒にいるから, 高校のときと大して変わらないけどね」

 

私も友人も, 高校時代までの人間関係を大学でも引きずっていました. 

 

「振り返ってみると, 大学では, 高校時代ほど新しい友人ができなかったな」

 

「課題演習で同じグループになった学生と友人になったと聞いたけれど, 彼らは違うのかい?」

 

「ああ……彼らは, 言うなれば……戦友というか, 苦楽を共にした同志, と表現した方が正確かもしれないね」

 

「四回生のゼミでは, その戦友とやらとは道を違えるんだろう?寂しくなるね」

 

「うむ……でも, それでいいんだ. 同じく物理学を志す道半ばにいる者同士, また会えないわけがないからね」

 

「果たしてそうかな……?」

 

「……ずいぶんと意味深なことを言うじゃないか. 君の方こそ, ゼミで友人のひとりやふたり, できなかったのか」

 

私と友人は異なる学科に所属しているので, 友人の周りの人間関係について, 私ははほとんど無知でした. 

 

「ゼミのメンバーは, みないい人だよ. ゼミへの熱意もあるし, なにより誠実なやつばかりだ」

 

「それなら……」

 

「私が人付き合いが苦手ということは, 君がいちばんよく知っているじゃないか」

 

「……まだ, 克服していなかったのか」

 

昨日の日記に, 友人は昔から異性にもてる人間だったと書きました. 彼は外面は人当たりもよく, そして実直な男でした. その意味で, 異性にもてるのはごく自然なことだったのです. 

 

彼は, 極度に人付き合いを苦手としていたからこそ, 自身に向けられる好意を無下にできませんでした. こうして, 彼は望まぬ恋愛をして, やがて双方にとって不幸な破局を経験してきた, というわけです. 

 

「……君とも長い付き合いになるし, 今すぐ対人能力を改善しろとは言わないよ. あれから時代も変わったし, 君の希望している職種なら, あるいは……」

 

「いや, 分かっているんだ. このままでは……」

 

私と友人の間で, 言葉が途切れました. 

 

「……そういえば, 君と出会ってから, 何年になったっけか」

 

「ええと……」

 

私は指を折って数えました. 

 

「今年で, 十六年ということになるかしら」

 

「そうか, 十六年か……」

 

「本当に長い付き合いになったものだね」

 

「君とも, いつか別れの日が来るのだろうね?」

 

「先のことは分からないよ. ただ……」

 

私は, 友人と出会って以来, 私が彼に与えたもの, 彼に与えられたものを思い出しました. 

 

「そんな日が来るとなったら, 私は全力で阻止するだろうね」

 

「……ずいぶんとまあ, くさいセリフを恥ずかしげもなく吐けたものだね」

 

友人は私から目をそらして, 何もない空間をせわしなさそうに眺めるばかりでした. 

日記(2/27)

毎年, 11月の末から12月の頭にかけて行われる大学寮の寮祭にて, 『すき家vs吉野家vs松屋vsなか卯』という企画があります. これは, 各牛丼チェーンのレシートを各自が持ち込んで, その総額が最も高い牛丼チェーンの勝利, という極めて単純明快な企画です. もし今年もこの企画が起こされるのであれば, 一日一食なか卯erとしては, 参加せざるを得ません. 今日も, お昼になか卯でカツ丼を注文しました. 

 

その帰り, 交差点で信号待ちをしている, おそらく中学生と思しき男子三人組を目にしました. 彼らはその手に釣竿を持っており, ちょうど今期『スローループ』という釣りアニメを視聴している私は, この近くに釣りのできる場所などあったかしらと思いつつ, 思わぬめぐり合わせに, 彼らの会話を盗み聞きし始めました. 

 

「昨日, 大阪に行ってきたんだ」

 

「大阪!ヒョウ柄のおばちゃんはいたか?」

 

「いや, 残念ながら見かけなかったよ」

 

「大阪は, 吉本の芸人が街を歩いていると聞いたぞ」

 

「ああ. (この部分は聞き取れませんでした)の背高い方が歩いておった」

 

やがて信号は青になり, 私は自転車で彼らを追い抜きました. 

 

大阪に行ったという友人に対して真っ先に尋ねることが, ヒョウ柄のおばちゃんの存在の有無とは, ずいぶんと奇妙なものだと思いました. しかし, かくいう私も, 大阪のことはほとんど知りません. 一回生の頃, 天保山の大阪文化館で開催されたドラえもん展, 続くまんがタイムきらら展に行ったきり, もう二年以上訪れていません. 

 

大阪には, 阪大に進学した友人が何人かおり, そのうちのひとりとは, 大学進学後も長期休みになると京都か大阪のどちらかで会う仲です. 先のまんがタイムきらら展にも, この友人と行って, その後彼の下宿にも遊びに行きました. 

 

彼は既にキャンパスが変わることに伴って引っ越しを済ませてしまいましたが, 閑静な住宅街といった感じで, よいところでした. 

 

夕方ごろ, 昨日も会った友人から連絡が来ました. 

 

「明日の午前中, そちらに行ってもいいかしら」

 

「午前中は医者にかかる予定がある. その後なら構わないよ」

 

「医者?きみ, 医者になんかかかっていたのか」

 

「医者といっても, 皮膚科だよ. 肌荒れに塗る薬が切れてしまってね. また処方箋を出してもらわないといかないんだ」

 

「君が肌荒れの薬を貰っていたとは, 初めて知ったよ. 教えてくれてもよかったのに」

 

「医者にかかるというのは, たとえ薬を塗って一晩で治るような肌荒れであったとしても, ややsensitiveな問題だからね. 進んで教えるようなことでもあるまいよ」

 

「その肌荒れは, いつから?」

 

「最初は, 二回生の六月から八月ごろにかけてだったかな. 昔から夏になると膝裏のあせもに苦しんでいたのだけれど, あの夏は本当にひどかった. 寝ている間に無意識に掻きむしってしまうから, どんどんひどくなってね……いちばんひどいときは, 痛くて膝を曲げることもできなくなってしまったんだ」

 

「それでは, 大学に行くことも……あっ」

 

電話口で, 友人は声を漏らしました. 

 

「もし授業が全面オンラインにならず, 対面だったのなら……もっと早いうちに皮膚科に駆け込んでいたのだけれどね」

 

「どれくらい放置したんだ」

 

「ざっと三ヶ月になったかな. それで, もう市販の塗り薬では効き目がないと分かって, ようやく皮膚科に行ったよ」

 

「それで, 治ったんだね?」

 

「うむ. 処方箋を出してもらった薬を塗ったら, 一晩で膝を曲げられるようになって, 三日後にはきれいに治ってしまった. 三ヶ月も苦しみ続けたというのに, 治るのはたったの三日ときたものだ」

 

「医者には早くかかったほうがいいと分かって, よかったじゃないか」

 

「頭ではわかっていても, 人間はみんな医者が怖いんだよ. 君もそうではなかったのか」

 

「……さあ, もう覚えていないよ」

 

私は, 友人言葉の続きを待ちましたが, ついに電話口から彼の声は聞こえてきませんでした. 

 

「……とにかく, 明日の午前中, 私は皮膚科に行くから居ないよ. 昼飯の時間には戻ると思うが……」

 

「……それでいいよ. 帰ったら, また連絡してくれ」

 

こうして, 友人との通話は終わりました. 

 

 

友人が, その性的不能性を理由に……もっと言えば, 交際相手と性交を試みて, しかし失敗したことで……交際相手から三行半を突きつけられてから, 彼が泌尿器科を訪れるまでに, かなりの時間のブランクがあったことを……私は後になって知りました.

 

その期間, 私は私で別の問題を抱えていたこともあって, 傷心の彼に寄り添うことができなかったことを, 今でも深く後悔しています. 

 

早く治療しなければ, 後回しにすればするほどに取り返しのつかない結果が待ち受けていると分かっていても, 私たちは病院という場所を敬遠してきました. 

 

私も彼も, 自身の身体の不調が, なにかの間違いであったと信じていたかったのかもしれません. 病院に行って, 診断を受けることで, その不調に病名が付けられてしまうことを, 過度に恐れていました. 

 

結局, 私の方は全く大したことのない結果に終わり, 対照的に彼は……取り返しのつかない結末を辿ることになってしまいました. 

 

私と友人の間に, 何か重大な差があったとは思えません. 

 

友人は, 昔から異性に人気がありました. 私が把握しているだけでも, 過去に三人と付き合いがありました. 

 

「女にもてる君が性的不能となり, 女から不人気だった私が性欲を持て余しているとは, ずいぶんと奇妙なことだね」

 

友人が私に全てを打ち明けてくれたとき, 私が彼にそう言うと, 友人は怒るでもなく……ただ静かに笑っていたことを, 私は一日たりとも忘れたことがありません. 

日記(2/26)

昨日は, 例によってサークルの例会に参加していたところ, 日記の投稿を忘れてしまいました. この日記を投稿し始めたのは, 春休みに入って文章を書く練習をしたい, というのが一番の動機でした. そのため, この日記を公開するつもりはあまりなく, しかし公開しなければ三日坊主になる可能性が極めて高かったため, こうして毎日ひっそりとインターネットに流すこととなったのです. 

 

中学生のころ, 『生活の記録』という冊子の自由記述欄にその日起こったことや考えたことを書いて, 毎朝提出するという習慣がありました. ほんの五行ほどの記述欄に, 私は中学の三年間で多くのことを書き連ねました. 

 

それと同時に, 私は他の生徒が書いた文章を, 度々こっそりと覗き読んでいました. そのほとんどは, 一文だけ「数学の授業が難しかった」とか, 「体育でサッカーをして点を決めた」とか, あまり面白みのないものでしたが, 中には驚くほど赤裸々で, そして刺激的な文章を記述欄の外にはみ出してまで書き並べているものもありました. 私はこの冊子から, 混沌として, 時に醜くもある学校内の人間関係を知りました. 

 

結局, 私のささやかな悪行は誰にも暴かれることなく, 卒業を迎えました. 中学の卒業以来, そのほとんどの同級生とは一度も会っていません. 

 

その中でも, 数少ない例外であるところの友人と, 今日は二次試験の二日目を迎えた, 某都大学のキャンパスにやってきました. いくつか残っていた立て看板と, 総長像を見て, 写真を撮りました. 

 

「去年の某あくあは知っていたけれど, 今年の不破某というvtuberは, 初めて知ったよ」

 

友人も私も, vtuberの文化にはあまり詳しくありませんでした. 

 

「というよりも, 他の像も, 元ネタが分からないものが多い気がするね」

 

「ふむ……これは少し, 危機感を覚えたほうがいいのやもしれないよ」

 

「どういうことだい?」

 

「私たちは, 静かに流行から取り残されているということにならないか」

 

私は去年, 一昨年と受験会場を訪れたときのことを思い出しました. 確かに, 一昨年よりも去年, 去年よりも今年といったように, 少しずつ元ネタの分からない工作物が増えたような気がしました. 

 

「しかし, 立て看板の方はほとんど元ネタを知っていたじゃないか. 像の方は, たまたま元ネタを知らないものが重なっただけで……」

 

「立て看板の元ネタになっているものは, ほとんどがTwitterで流行りを経験したものばかりじゃないか. そうなると, 私たちはただTwitterに常駐して, タイムライン流れてくるネタを受動的に消費しているだけ, ということになる. 主体的に知ったものは, ほとんど何もなかったよ」

 

「……」

 

「私たちはTwitterにいる, 何もしていないただのおたくになってしまったのかな」

 

「……私たちには, 年相応の身の振り方がある. あの像たちが, 今の受験生の流行なのだとしたら, もうすぐ四回生になる私たちの流行とは離れた場所にあっても, なんらおかしなことではないよ」

 

「……そうか」

 

友人は, 私を肯定も否定もしませんでした. 

 

「一回生の頃……三回生や四回生にもなって, 学部の入試会場ではしゃぐのは格好悪いという雰囲気があったのを, よく覚えているよ. しかし, いざ自分が上回生の側に立つと, そんなことは気にならなくなった. これはどういうことだろうね?」

 

私の所属している学部の試験会場, そのほど近くの広場のベンチに, 私と友人は並んで腰かけました. 

 

「そういえば, 私は去年の入試会場には行かなかったけれど, 君はどうした?」

 

「私は見に行ったよ. 某あくあ総長像の台座に, いろはすのペットボトルを差し入れて, すぐに帰ってしまったけれどね」

 

「それはまた, 奇妙なことをしたものだね」

 

「私も, どうしてあんなことをしたのか……なぜ『いろはす』だったのか? この一年間, 常に心に留めていた」

 

「それで, 答えは見つかったのかい」

 

「思うに, 私は……かろうじてこの大学に残った立て看板や折田先生像や……そうした文化の一端を担っていたかった……もっと言えば, この酔狂な祭りの一員たりたかったのではないかな. たったのいろはす一本では, ほとんどフリーライドに近いものだったけどね」

 

「普段の学生運動は静観しておきながら, こんなときだけ, ずいぶんと都合の良いことだね」

 

「うん……まったく, 恥ずかしいことだよ」

 

私たちはキャンパスを後にして, 近くの中華料理屋で昼食を取ってから, 真っすぐ帰りました. 

 

「それで, 君の置いたいろはすはその後, どうなったんだい?」

 

「分からない. 総長像は自主撤去されたそうだから, 設置者が飲んだか, もしくは飲まずに捨てられたか……」

 

実際問題として, 誰が置いたかしれないペットボトルの水を飲むことは, あまりにリスクが高く, 捨てられたとして私がどうこう言うつもりはありませんでした. 

 

「……もしかして, 君はaquaだからいろはすの水を置いた, ということか」

 

「……それを指摘してくれたのは, この一年で君が初めてだよ. もっとも, わたしがいろはすを置いたときには, 既にアクエリアスのペットボトルが置かれていたから, その意味では完全な下位互換の二番煎じだったわけだが……」

 

私はあの日以来, いろはすを一度も飲んでいません.