誠実な生活

実家の隣に葬儀屋がある

日記(3/5)

昨日はサークルの例会に参加して, 深夜二時頃まで雑談に興じていました. 思い返すと, 例会での雑談に, 昔話の割合が増えたと感じるようになりました. 

 

例えば, 幼少期に遊んだゲームの話, 小中時代の学校給食の話, 出身高校の大学進学実績の話など, どういった文脈でこれらの話題に発展したのかは覚えていませんが, 週に一度の例会で, ほとんど必ずと言ってよいほど, こうした過去の話が交わされるようになりました. 

 

昔話と言えば, ひとつ思い出したことがあります. それは, 私が幼少期のころの携帯電話の普及率についてです.

 

今でこそ, キッズスマホなんてものが販売されるくらいには, スマートフォンは大人だけの持ち物ではなくなっていますが, 私が小学生の頃は, 携帯電話と言えば, いわゆる折りたたみ式のガラケーで, 大人でさえもスマホを持っている人は一握りでした. いわんや小学生がスマホを持つような時代ではなく, 携帯電話を持っている子も, 少なくとも私の周囲にはひとりもいませんでした. 

 

友達と連絡を取るには, 固定電話で友達の家にかけるのが普通で, それを面倒と思ったこともありませんでした. 

 

私が初めてスマートフォンを手にしたのは, 高校の合格発表の翌日でした. 同級生らも, 中学時代に既に携帯電話を持っていた子はちらほらいましたが, それでも大多数は, 高校入学を機に買い与えられていたようです. 

 

先日の日記で, 中学時代に初めて小説を書いた話をしました. その作品は, 高校生が主人公だったのですが, 当時中学生だった私は, 高校生活というものを完全に想像で書いていました. そのため, 今になって読み返すと, 高校の校舎やそこでの生活について, 無知を露呈してしまった描写が数多く見られました. 

 

そうした無知の中でも, のちに読み返して気が付いたこととして, この作品に登場するすべてのキャラクターは, 誰も携帯電話を所有していなかったのです. 

 

当時, 携帯電話を持っていなかった私は, そのおかしさに気が付くこともできませんでした. 

 

現在の視点から, 当時の私を「想像力が足りなかった」と言い切ってしまうのは, あまりにも簡単です. それでも私は, かつて試行錯誤しながらひとつの作品を描き上げた自分自身に, 今では必要不可欠な携帯電話の存在が見出されなかったことに……小さな感動を覚えていたのも確かです.