誠実な生活

実家の隣に葬儀屋がある

日記(2/28)

ついに, 二月も最終日となってしまいました. お昼前に, 友人が私の下宿を訪ねてきました. 

 

「それで, 今日は何か用件があって?」

 

「今日は春休みの折り返しじゃないか. 春休み前半の総括をしたいと思ってね」

 

「ふむ……」

 

私と友人は, この一か月間の暮らしぶりを互いに報告し合いました. 

 

「大学院入試に向けた対策は進んでいるかい」

 

「とりあえず, 学部の総復習として, 電磁気, 量子力学, 統計力学の標準的な教科書を読み進めたわけだが……」

 

この一か月間で, 私は田崎統計力学の第一巻と第二巻を読み終え, 加えて量子力学の教科書を半分ほど, 電磁気学の教科書を五分の一ほど, また寄り道として, 物理数学, 特に特殊関数の教科書を読み進めました. 

 

個人的には, 統計力学がここまで進むとは思っていなかったので嬉しい誤算でしたが, 逆に電磁気学については思うように進捗を産みだせませんでした. この点は, 三月で盛り返すほかないでしょう. 

 

「思えば, 大学院入試まで, 残すところちょうど半年といったところか」

 

「院試の結果に関わらず, 学部の生活も残り一年になってしまったね」

 

「君とばかり一緒にいるから, 高校のときと大して変わらないけどね」

 

私も友人も, 高校時代までの人間関係を大学でも引きずっていました. 

 

「振り返ってみると, 大学では, 高校時代ほど新しい友人ができなかったな」

 

「課題演習で同じグループになった学生と友人になったと聞いたけれど, 彼らは違うのかい?」

 

「ああ……彼らは, 言うなれば……戦友というか, 苦楽を共にした同志, と表現した方が正確かもしれないね」

 

「四回生のゼミでは, その戦友とやらとは道を違えるんだろう?寂しくなるね」

 

「うむ……でも, それでいいんだ. 同じく物理学を志す道半ばにいる者同士, また会えないわけがないからね」

 

「果たしてそうかな……?」

 

「……ずいぶんと意味深なことを言うじゃないか. 君の方こそ, ゼミで友人のひとりやふたり, できなかったのか」

 

私と友人は異なる学科に所属しているので, 友人の周りの人間関係について, 私ははほとんど無知でした. 

 

「ゼミのメンバーは, みないい人だよ. ゼミへの熱意もあるし, なにより誠実なやつばかりだ」

 

「それなら……」

 

「私が人付き合いが苦手ということは, 君がいちばんよく知っているじゃないか」

 

「……まだ, 克服していなかったのか」

 

昨日の日記に, 友人は昔から異性にもてる人間だったと書きました. 彼は外面は人当たりもよく, そして実直な男でした. その意味で, 異性にもてるのはごく自然なことだったのです. 

 

彼は, 極度に人付き合いを苦手としていたからこそ, 自身に向けられる好意を無下にできませんでした. こうして, 彼は望まぬ恋愛をして, やがて双方にとって不幸な破局を経験してきた, というわけです. 

 

「……君とも長い付き合いになるし, 今すぐ対人能力を改善しろとは言わないよ. あれから時代も変わったし, 君の希望している職種なら, あるいは……」

 

「いや, 分かっているんだ. このままでは……」

 

私と友人の間で, 言葉が途切れました. 

 

「……そういえば, 君と出会ってから, 何年になったっけか」

 

「ええと……」

 

私は指を折って数えました. 

 

「今年で, 十六年ということになるかしら」

 

「そうか, 十六年か……」

 

「本当に長い付き合いになったものだね」

 

「君とも, いつか別れの日が来るのだろうね?」

 

「先のことは分からないよ. ただ……」

 

私は, 友人と出会って以来, 私が彼に与えたもの, 彼に与えられたものを思い出しました. 

 

「そんな日が来るとなったら, 私は全力で阻止するだろうね」

 

「……ずいぶんとまあ, くさいセリフを恥ずかしげもなく吐けたものだね」

 

友人は私から目をそらして, 何もない空間をせわしなさそうに眺めるばかりでした.