日記(2/24)
およそ八畳の部屋の中で失せ物が出たところで, 高々有限の範囲をくまなく探せばよいだけなので, あまり苦労した覚えがありません. ところが, こと昨日の夜に関しては, 半年前に通院していた病院の診察券を求めて, 私は部屋をひっくり返して夜を明かしました.
失せ物の捜索は, いつの間にか部屋の大掃除と断捨離に移行し, 私はこの三年間の思い出の品を掘り起こしては, ゴミ袋に突っ込むということを繰り返しました.
大学入試の受験票, 受験前日に宿泊したホテルの明細, 入学して間もない頃に調達し, 今では古びた下着類, 紙粘土で作ったドラえもんの人形……
やがて, 30Lのゴミ袋が満杯になったところで, 大方の整理は終わりました.
過去の思い出の品を, しかも客観的には全くくだらない品を, 後生大事に保管しておくというのは, それはそれで過去に対する誠実な態度のひとつでしょう. しかし私は, この三年間にため込んだがらくたのうち, かさばることのないごく少数を除いて, 手放すことを決めました.
もしも私が無尽蔵の収納を持っていて, かつそこに収納する品々を, 常に整理された状態で維持できたとしたら, 私は断捨離などしなかったのでしょうか?
考えても, 分からないことばかりです.
日記(2/23)
昨日はゼミのため終日外出していたこともあり, 宵に大学を後にし, 行きつけの唐揚げ専門店で鶏ももと鶏むねを100gずつ買って帰った私は, あまりの疲労に唐揚げにほとんど口を付けることなく, そのまま泥のように眠りこけてしまったのです.
翌朝, すっかり冷え切った唐揚げを温めて頬張りつつ, 昨日のゼミの内容をレポートにまとめて, 教科書を読み進めました.
田崎統計力学の第一巻を読み終わってすぐ, ちょうどよいタイミングで注文していた第二巻が届いたので, これを早速読み始めました.
春休みももうすぐ折り返しですが, 日々の暮らしは部屋に籠って教科書を読み解き, そして時たま気分転換に散歩に出たり, また少し遠出して映画を観に行くといった, きわめてゆったりとした時間の中にありました.
こうした生活は気が楽ですが, しかし時たま私の生活とは対照的に, 目まぐるしく移り変わってゆく社会の姿を見るにつけて, 私はまるで乗り物酔いのような気分の悪さを覚えるようになりました.
この世界のスピードはあまりに早く, 私は自身が社会に取り残されているような感覚に襲われることが増えました.
特に, 理学部という場所は大学の中でも, 社会から離れたところにあります.
私たちはあの空間で, 誰にも急かされることのないゆるやかな専門化を, また, あえて棘のある言い方をすれば, 停滞を許されています.
友人にひとり, 学部卒で就職するやつがいます. 彼は大学在学中にいくつかの資格を取得し, 大学四回生に上がると同時に企業に入社するそうです. 私はこの周辺の仕組みに疎く, 大学在学中に企業で働くことができるということを, 彼によって知りました.
てっきり私たち大多数の学生と同じように, 大学院に進学するものとばかり思っていた彼の進路を知ったとき, 私は自らがこの場所で許されていた心地の良い停滞に, 冷や水を浴びせられた気分になりました.
まったく, おそろしい話です.
日記(2/21)
下宿からほど近いドラッグストアが閉店して, また新たに別のドラッグストアができることになりました.
正直なところ, このドラッグストアは立地が悪いと言わざるを得ず, すぐ近くにはスーパーマーケットと同じ建物に入った大手ドラッグストアチェーンと, また反対方向のすぐ近くにも, 今度は大型ショッピングモールの地下に同じ大手ドラッグストアチェーンが入っています. そのため, ほとんどの近隣住民はスーパーやショッピングモールでの買い物のついでにドラッグストアに寄ることとなり, このドラッグストアは常に苦戦を強いられてきました.
今日, 店の前を通ったとき, ちょうど看板の塗り替え作業の真っ最中でした. 一度閉店したドラッグストアの跡地に, 再び別のドラッグストアが入るというのは不思議な気分です. 少し遡って, しばらく空っぽだった建物の中に明かりが灯り, 「○○薬局 近日オープン」ののぼりが立っているのを目にしたとき, 私は内心, すぐ近くの大手ドラッグストアと競合することを承知でこの場所にドラッグストアとして入ることに, 少なからぬ覚悟を感じていました.
思えば, この土地での暮らしも長くなりました. 森見登美彦が『太陽の塔』の中で描いた交差点のドーナツ屋は近隣のショッピングモールに移転し, その跡地は今も空っぽのまま佇んでいます. 大学の帰りにふらりと寄って, ドーナツを数個買って帰ったのも, 既に過去の話です.
このまま学部と同じ大学の院に進学すれば, あと三年はこの土地で暮らすことになります. その間に, 私がこの場所に来たときから変わらずに残っているものは, いったいどれほどあるのでしょうか?
日記(2/20)
春休み開始より読み進めてきた田崎統計力学1ですが, 最後の章である, 電磁場と黒体輻射の章に入ったので, 先駆けて第二巻を注文しました.
学科で宇宙物理を学んでいることもあり, 黒体輻射という単語は数えきれないほど目にしてきました. 黒体とは, 全ての振動数の電磁波を吸収する仮想的な物体のことです.
田崎には, 次のような記述があります.
『すべての電磁波を完全に吸収するから, 「黒い」のである』
この一文に, 私は在りし日の記憶を呼び起こしました.
小学生の時分, 太陽の照り付ける暑い校庭での体育の時間……教師の言葉がよみがえりました.
「髪の毛は黒いから, 光を吸収して熱くなる. だから, 体育帽をちゃんと被るように」
なるほど, 体育帽を被らずに炎天下で過ごした後, 頭に触れると驚くほどに熱くなります. 対照的に, 白い体操服に触れても, 特に熱さは感じません. すなわち, 黒いものは光を吸収するのだなと, まだ物理学のぶの字も知らない当時の私は納得しました.
しかし, 実際は因果関係が逆だったのです. 黒いから光を吸収するのではなく, 光を吸収するのだから黒く見えるのだ. と……
こんな単純なことに気が付くのに, 私は十年以上の月日を費やしてしまったのか……
私はそれ以上ページを読み進めることができず, しかし奇妙な感動と幸福を覚えつつ, 本を閉じたのでした.
日記(2/19)
今から五年前に発行された, とある本を探し続けて, もう三ヶ月になります. それは, とある大手出版社の大手文庫から出版された, シリーズものの小説でした.
まず最初に探したのは, よく使っているネットショッピングです. そこには新品はひとつもなく, 中古品のうち, シリーズものの第一巻だけが300円程度で売られていました.
普段利用しない別のオンラインストアや, もしくは近所の書店も何軒か足を運びました. しかし, どこにも新品の在庫はありませんでした.
五年前という時間は, それほど昔のことだとは思いません. むしろ, どちらかと言えばつい最近です. しかるに, 今となっては五年前に世に出た本を手に入れることすらできないという事実が, 私にはこれ以上なく悲しく思われました.
人生, ままならないことばかりです.
日記(2/18)
私の習慣に, 毎週日曜日に一万円分の本を買う, というものがあります. これは, 毎週日曜日にpaypayモールがソフトバンクユーザー向けに購入金額の10%還元サービスを提供しているためです. その上限が支払額一万円までなので, 毎週日曜に一万円分の本を買う, というわけです.
よく利用するのは, paypayモールの数ある店舗の中でも, O垣書店という京都市に本社を置く書店のオンラインストアです. 私の近所にも, 徒歩五分ほどの距離にO垣書店の実店舗があります.
私は週に一度, このO垣書店の実店舗に足を運んでは新刊をチェックし, 手に取って見, 表紙の手触りを確かめてから, 買わずにメモだけして帰ります.
それを, 日曜日にO垣書店のオンラインストアで注文する, という流れです. すると, 前述の10%還元に加えて, paypayの各種還元サービスと合わせると, およそ20%程度の還元を得ることになります.
paypayの普及に伴って, 私は日々の買い物のほとんどすべてを, paypayによる決済で済ませられるようになりました. 昼食をなか卯で食べるときも, スーパーでペットボトルの水を買うときも, 夕食をマクドナルドで食べるときも……全てpaypayで完結できます.
日曜に注文すると, たいていの場合は翌々日の火曜日か, もしくはたまに月曜日に届きます. かつては一定金額以上の購入で送料が無料になったので, 注文してすぐに読めないという一点を除けば, 実店舗で購入するよりも遥かに割安です.
しかし, 考えてみればこれは奇妙なことです. 実店舗に足を運んで本を購入しても, 還元率は0%です. さらには, 購入した本は, 自らの手で自宅まで運ばなければなりません.
しかるに, オンラインストアで注文すれば, 20%もの還元が付与され, しかも宅配によって自宅まで商品を届けてくれます.
明らかにオンラインストアでの注文の方が(ストア側にとって)経費が掛かっているはずなのに, 消費者である私はむしろ実店舗で購入するよりも得をしているという, 摩訶不思議な逆転が起こっているのです.
いったい, ここまでの話のどこに, 奇妙な逆転のからくりが潜んでいるのでしょうか?
少し考えてみれば, 実店舗での買い物とオンラインストアでのそれの間に介在している, paypayというわけの分からない決済サービスの存在を, 上の議論では完全に無視していることが分かります.
以前, レシートを一枚数円で買い取りするサービスが登場して話題になったことは, 記憶に新しいです.
paypayが, 私の買い物記録と消費動向の情報を引き換えに還元を付与しているというのは, 少しばかり気分の悪いものがありますが, 今はもうそういう時代ではないのでしょう.
paypayがもっと普及すれば, paypayを支払いに利用できる店舗, サービスも増えるでしょう. しかし, 普及が進んで決済サービスがpaypayの独り勝ちになってしまえば, paypayがそれまでの各種還元サービスを打ち切るであろうことは, 火を見るよりも明らかです.
その意味で私は, paypayは永遠にスマホ決済市場を独占することなく, いつまでも競合他社と拮抗しつつ勢力争いを続けてほしいものですが, 既にpaypayは覇権に手を伸ばしつつあり, 世の中はそううまくはいかないようです.
日記(2/17)
唐突ですが, 『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』という漫画の話をさせてください.
『わたモテ』と略されるこの作品に私が出会ったのは, 地元のTSUTAYAにある, 漫画レンタルコーナーでした. このとき, 私はまだ小学六年生でした.
毎週金曜日の夜, 当時通っていたピアノ教室でのレッスンの帰りに, 送迎を任されていた父は週末に観るためのDVDを借りにTSUTAYAに寄って, 私に二本まで借りることを許してくれました.
私がよく借りたDVDは, ドラえもん, クレヨンしんちゃん, あたしンちの三作品のローテーションでした. 他にも, 『凪のあすから』などの, いわゆる深夜アニメと出会ったのも, TSUTAYAのDVDレンタルコーナーでした.
私は, TSUTAYAのレンタルコーナーの棚が, ビデオテープからDVDに移り変わってゆく過程を, この目で眺めてきました.
最初にTSUTAYAの棚にDVDを見たのは, わさドラ映画の第二作目, 『のび太の新魔界大冒険』でした. 当時, 私の家にはビデオデッキしかなく, 父のノートパソコンでDVDを観ていました. ジュース片手にDVDを観ていたら, キーボードの上にジュースをこぼしてノートパソコンを壊してしまい, こっぴどく叱られたのも今となっては懐かしい思い出です.
あの頃, 私は毎週欠かさずTSUTAYAに通っていたにも関わらず, しかしTSUTAYAの棚にビデオテープとDVDがちょうど半々ずつ並んでいる景色がほとんど記憶にありません. それほどに, ビデオテープからDVDへの移行は極めて速やかに完了してしまいました.
日本中のTSUTAYAの棚に所せましと並んでいた大量のビデオテープは, DVDに瞬く間に居場所を奪われて, いったいどこに消えてしまったのでしょう?そして, 後のDVDからBlu-rayへの移行が, "そう"はならなかったのは, どうしてでしょう?
そして, TSUTAYAからビデオテープが消えて久しいある日, 近所のTSUTAYAがリニューアルし, 新たに漫画レンタルコーナーが設置されました.
漫画は買うもの, という意識があった私にとって, 漫画もDVDと同じようにレンタルしてよいという事実に, 幼いながらに不思議な感動を覚えたものです.
その一角で, 私は『わたモテ』に出会いました. このとき, まだ棚に単行本は二巻までしかありませんでした.
立ち読みしたとき, 私は衝撃を覚えました. ここまで惨めで, 読んでいるこちらまで羞恥に悶えるような主人公が作品の漫画があっていいのかと思いました. 高校でぼっちになってしまった主人公は, 休み時間は寝たふり, 便所飯, しかも机の上にスマホを録音モードのまま置いていき, 自分がいないときにクラスメイトが自分の悪口を言っていないか確認する……
年下のいとこに見栄を張った結果, 公衆の面前でとんでもない醜態を晒し, しかもそれをいとこ本人に目撃される……
たまに気分がいいとスキップしながら登校すると, 路地裏で朝食の中身を吐き出す始末……
あまりに救いのない恐ろしい内容に, 私は思わず吐き気と頭痛を覚えました.
それまで私が読んでいた漫画は, もっと素直な作品ばかりでした. それこそ, ドラえもんのような古典であったり, 『スーパーマリオくん』のような下品なギャグ漫画が大好物であった当時の私には, 全く理解の範疇を超えた作品だったのです.
私は, この理解の外にある作品を, どうにか理解してみたいという衝動に駆られました. 今思えば, 一種の怖いもの見たさに似ていた気がします. そして, 私は棚にあった単行本二冊を抱えて, レジの前で待っている父のもとへ駆けて行ったのです.
『わたモテ』に感じた狂気を, 私はゆっくりと自分の中に取り込んでゆきました. この作品を読んでいると, 胸が締め付けられ, 呼吸が苦しくなりました. それでも, 私は読み続けました.
今では『わたモテ』という作品は, 漫画読みの中ではある程度の知名度と市民権を得たと思います. それは, この作品が中盤で迎えた作風の転換によるものだと私は考えています.
すなわち, 主人公のあまりの惨めさに自己を重ねつつ, もしくは共感性羞恥を覚えつつ, ある種自傷行為的に読み続けていた私にとって, この作品の転換は大きな衝撃を与えました.
主人公は, 作中で修学旅行に行き, これをきっかけに, それまでの惨めな生活に転機が訪れます. 友人ができ, クラスでの立ち位置も, 少しずつよい方向に変化していったのです.
最新話では, もはやかつての見るに堪えない姿は面影もありません.
この転換に対して, 私はしかし, 大きな裏切りを受けた気分になりました.
それは, 作風を転換した作者にではなく, 『わたモテ』の主人公に対してのものでした.
ずっと変わらないと思っていた主人公が, 突然友人を獲得して, クラスでの居場所を得て, 少しずつ社会に適合してゆくのを見るにつけて, 私はひどい背信行為を受けたと感じました.
まるで私だけが惨めで見るに堪えない姿のまま, しかし『わたモテ』の主人公は, ある日突然に私を置き去りにして, 惨めであることから脱してしまったのです.
あるとき友人が, 折に触れて『わたモテ』の話題を振ってきたので, 私は全てを話しました.
「どうして私は, 主人公の成長を素直に喜ぶことができなかったのだろう?」
「世間の評価では, むしろ初期の惨めな姿は好きではないが, 修学旅行以降の群像劇的な雰囲気は好きだという声の方が大きいようだけれど, 君はまったく逆なんだね」
「これは逆張りではないよ」
私は口をはさみました.
「分かっているよ」
「どうして『わたモテ』の主人公は救われたのに, 私は救われなかったのだろうね」
「……君が高校一年のときだったか……あのクラスは, 君には本当に居心地の悪いものだっただろうね」
私は高校一年のとき, 初期の『わたモテ』の主人公ほどではありませんが, クラスで居場所を見つけることができずに, ひとり苦しんでいました. そしてそれは, クラスが変わり二年生になっても改善するどころか, ますます悪化しました.
「一年の頃は, 同じ部活の友人がいたし, もうひとり, 中学からの友人がいたからね. 最悪, どちらかにコバンザメのようについてゆけばよかった. しかし, 二年のクラス分けを見たときは, 本当に不登校の三文字が頭をよぎったよ」
「君は見事に, 部活の友人とも一年のときの数少ない友人とも, 同じクラスにならなかったね」
「そのときも, 『わたモテ』の主人公は友人に囲まれて, さらにはクラスの中心人物にまで出世していって……あのときはとても苦しかった」
「しかし君, 三年のクラスでは, ようやく友人に恵まれたと外から見て思っていたが, 実際のところはどうなんだい」
そう, 三年の来たるクラス分けで, 私は中学時代の友人数人と, 部活の友人も数人という, 極めて幸運なクラスメイトに恵まれました.
「うん. あのとき, 私はようやく私の『わたモテ』初期も終わると思った. 高校三年生の一年間は, 本当によい環境だったよ. しかし, 今でも分からないことがある」
「というと?」
「私はあのとき, あまりにも恵まれ過ぎていた. 自分で言うのもうぬぼれかもしれないが, 高校三年生のクラスで, 私は特に男子の間ではかなり中心に近い位置にいたと思うんだ」
「一, 二年の頃の運のなさを帳消しにするために, 三年生でそれまでの運が回ってきたんじゃないか. 私は君がようやく楽しい学校生活を送れるようになったと聞いて, 当時, 本当に嬉しかったんだよ」
「思い返せば, しかしあれは分不相応だったね. 私の人生で, 最も輝いていた瞬間かもしれない. 結局, 卒業してからほとんどのクラスメイトとは連絡が途絶えてしまったものね」
「あのクラスでは, 浪人した者も多かったし, ある程度は仕方ないよ」
「……そうかもしれないね」
中学からの同級生で高校三年生で同じクラスになった友人Aも, 浪人したことだけは知っていますが, その後どこの大学に進学したのかさえ私は知りませんでした.
「『わたモテ』は今後, どういう展開になるのだろうね?」
この作品に出会った当時, まだ主人公より四学年も下だった私たちも, この春の進級で逆に四学年上になってしまいます.
「ちょうど最新話でクリスマス会をやっていたから, もうすぐ大学受験だね」
「主人公は第一志望の大学に受かると思うかい?」
「どうだろうね. あの作品が主人公に救いを与えているのだとすれば, わりとすんなり受かってしまうんじゃないかな」
「もう, 私たちの受験からは三年が経ってしまったね」
「受験直前の, 毎日特講を受けるために学校に来て, ストーブを囲んで弁当を食べたあの時間が, 思えばいちばん楽しかったね」
「君もそう思うか」
「もう二度と戻って来ない時間だけれどね」
私も友人も, 大学に受かってからこの三年間をどう生きてきたか……そんなどうにもならないことを考えていました.
「……君と同じ大学に受かって, 本当によかった」
「……その言葉は, 三年前に聞きたかったよ」
それ以上, 私と友人は言葉を交わそうとしませんでした.